まことの悪は善の顔 《癒奏術・山桜の章》 | 生命の「ゆらぎ」を癒す ~神人一致の癒奏術・Yuragi Therapy

生命の「ゆらぎ」を癒す ~神人一致の癒奏術・Yuragi Therapy

ボディセラピスト、ヒーラー、アロマブレンダーとして目指すヒューマンセラピーメソッド。
それが癒奏術・Yuragi Therapyです。
そして新たに備わった【龍を授ける】力で、多くの人を幸せに導きたいと思います。

 

 

 

悪神 悪魔 悪霊も、正義を語れば愛も語る

優しき言葉、慈悲の言葉、心の闇を救う光

それらすべてが善だと思う「情け心」に絡みつく

絡みついて引っ張って、枷をはめ行く優しき言葉

慈愛に満ちた同情の言葉で心の火を消し行く

 

 

悪神 悪魔 悪霊ほど、綺麗に着飾り美麗な姿

人の心に照り映える、神々しき姿を見せる

人の心に情けの曇り、あればあるほど美しく映える

喜怒哀楽の凝りと淀みを、撫でられ人は心地よく

もっともっとと欲が出て、絡めとられてゆくばかり

 

情から始まるその善は、一方的な正義の屁理屈

善を放てど悪となり、別の悪を生み出す仕組み

情けの曇り晴らさねば、まことの善悪わからぬままぞ

 

 

 

慈愛に満ちた地母神は、まことの善か悪なるか

情けの曇り晴らさねば、見分けはつかぬままなるぞ

 

まことの⦿九十の地母神は、日に千人を殺す神

情け心の曇り晴らさねば、まことの神を悪魔と見まがう

 

神と悪魔が天地逆さに、写る心の曇った眼鏡

掃除洗濯大急ぎ、まことの慈母が現れる

 

 

 

慈愛に満ちた天の父、まことの善か悪なるか

情けの曇り晴らさねば、見分けはつかぬままなるぞ

 

まことの⦿九十の天の父は、日に千五百の産屋を建てて

産むを見守る神なるに、与えてくれるを待つ心

掃除洗濯大急ぎ、産屋は朽ちて無くなるぞ

 

 

この親神の愛がなければ 地上はすぐに地獄絵図
曇りまなこで見るからに 愛の道理がわからぬぞ

 

 

 

那岐那美神が出会う時 霊身一致し結ばれる

霊の位がまことの位 天地グレンと位が返る

岩戸開かば霊と身の 主従がはっきり現れる

未だその身を主とするは 霊の足枷はめておること

情けで湿った濡れ落ち葉 枷で上がれぬ霊の位は

守護神共々地の下に 置いていかれてしまうのぞ

 

那美神という地母神が 「上がる」ということ忘れたか

次元が上がり岩戸が開き 地が天の方へ向かうのに

向かわぬ人は地の下ぞ 当たり前の道理であるぞ

救ってくれぬと叫んでも 神は産屋を建てて待ちたに

火を放ち産むをせぬままに 救いようもありはせぬ

 

 

 

救ってやるという甘言に 釣られた情け心の曇り

悪魔に釣られた濡れ落ち葉 救いようもありはせぬ

神素佐鳴の十拳の剣で 身削いで御魂を救うがやっと

わずかに乾いた魂の 真ん中だけを救うがやっと

情けの渦の大蛇に張り付く 濡れ落ち葉なる御魂の救い

 

 

悪神 悪魔 悪霊も 情け心の濡れ落ち葉

改心されて曇りを晴らし 火を放てれば救いも出来る

悪神 悪魔 悪霊も 所詮は天地の父母神の御子

親に逆らいグレたとて 御親の神には逆らえぬ

 

 

 

地上に堕ちたる大天使 情けに濡れて飛べぬ翼

親に逆らい愛を語れど 悪に巡りてゆくばかり

それを目にしてようやくに 改心すれども時遅し

自分が蒔いた蔦草の種 神の御子に絡まりて

地を覆い隠すまでに広がり どうすることも出来ぬまま

改心いたして親神に すがりて天に還られた由

 

 

その蔦草は日ノ本の 神の皇子にまで絡まりて

神輿を覆う蔦草は 花を咲かせて美しかれど

地に垂れ下がる藤の花 神輿の重みが増すばかり

皇子が神輿に乗るゆえに 人は神輿を崇め奉る

愛でているのは中の皇子 藤の花ではありませぬ

 

されどいつしか日ノ本の 人は蔦草崇め始める

情けに釣られて絡みくる 蔦草のごとく絡みゆく

気付けば日ノ本幽界(がいこく)御魂で 溢れるほどに広がりて

情けが生んだ愛と善 その蔦草に覆われ候

 

 

 

 

たった一つの真ん中(・)を 見失いたる情け心

喜怒哀楽の思いの分だけ 真ん中が常に変わりゆく

あっちフラフラこっちフラフラ どれが真中の柱かわからぬ

掃除洗濯磨かねば 情けの曇りは晴れぬ由

 

 

瓜生姫の機織りで 最後の猶予を下された

愛と情けの分かれ道 産屋に炎を放てるか

まことの花は咲耶姫 蔦草ならぬ木の花ぞ

真中見つけねば木とならず 地を這い彷徨う蔦草のまま

地に根付かねば花咲かぬ 容易く倒れる柱なり

 

 

 

曇り晴らして真中が無ければ 善を語れど悪となる

改心出来ぬ人々の 情け心の曇り空