
地震や津波や火山の噴火は一度起これば止めようがない。
しかし現代人はこの「どうしようもない事象」に対してさえ、
『ではどうすればそれを無くせるか?』
『自然災害が発生しない代案は?』
などという思考を繰り返す。
これを社会学的にいうと『ビジネス思考』というものに近いのだろう。
人間の考えで『起こった』地震や津波や噴火は止める術はない。
だが人はありもしない『代案』があると期待する。
地震や津波や火山の噴火で起こる『被害』を減らすことは出来る。
だがそれは、
『地震が起きている』
『津波が来ている」
『火山が噴火した』
ということを『認める』ことが前提である。
何度も何度も『津波に呑まれている』と言ってきたが、呑まれていることを『認めた』ものがどれだけいるだろうか?
一人か二人か三人か・・・・
なにかいい方法があるとか、代案があるだろうという『淡い期待』から、『避け得ないもの』としっかりと認めること。
それが【改心】である。
そして、【改心】して認めたなら、こんどは【肚括り】である。
しっかりと【認めた】ことを【腹に据える】こと。
【未曾有の大災害】の始まりの真っただ中に自分が置かれているということを、しっかりと肚に据えることで見える景色は変わる。
どう変わるのか?
溺れる者は藁をも掴む
しかし、肚を据えたものは藁など見向きもせず、自分の身を支えるものを見つけようとする。
このように、【改心】次第で見える景色が違うのである。
また、溺れる者は助けるために手を差し伸べたものさえ溺れさせてしまう。
ゆえに助けるための手を差し伸べられない。
だから【改心】して【肚括り】が大事なのである。
もはや世界は波に呑まれ渦の真っただ中。
溺れる者が暴れてさらに溺れる者を生み
それが連鎖して【鳴門の渦潮】の如き『沈む渦』を作り出している。
改心第一
肚括り第一
急がれよ・・・・・