秦の始皇帝が樹立した秦国が亡ぶ頃
日本に渡ってきたとされる『秦氏』のことを【弓月君(ゆづきのきみ)】と呼んだ。
その呼び名は秦氏の故郷である【弓月国】の【君】という意味である。
【弓月国】は現在の新疆ウイグル自治区やカザフスタン、キルギスが接する地域に広がっていた。
そして【弓月国】の王家の城【弓月城】は現在の新疆ウイグル自治区にあったようで、現在もその名が残る。
そんな【弓月国】には【ヤマト】【ナラ】という地名があり、これはもはや偶然などとは言えない。
秦氏の一族数万人が日本に渡ってきたのは、神功皇后の頃とされるが、紀元前の秦国滅亡の頃には秦王の側近であった【徐福】が約3000人ほどを引き連れ渡ってきていた。
秦国が滅亡した後、秦の民は朝鮮半島に移り住み、当時の【馬韓】の支配のもとで【秦韓】という集団の国ともいえる地域を作り暮らしていたようである。
推測であるが、神功皇后の三韓征伐はこの【秦韓】の民を迎えるための渡航だったのではないかと思う。
そして、彼らの技術や知恵をもって全国を統一していったのだろう。
何せ【中華統一】をした一族である。
その手段や技術といった知恵は既に持っていたわけである。
恐らく、そんな智慧の一端を徐福によってもたらされ、卑弥呼の時代には既に得ていたのかもしれない。
そうしてやがて【ナラ】に都が築かれ、正式に【ヤマト】が完成するわけである。
「ヤマト」とはヘブライ語にすると「ヤマトゥ」となり、その意味は『ヤハウェの民』となるそうである。
また、「ニホン」は『忠実な相続者』という意味になるという。
神ヤハウェの忠実な民の国・・・・である。
そんな秦氏の氏神は、全国に広がる【稲荷】である。
その【稲荷】の神様は言うまでもなく【豊受大神】
そして、【籠神社】に残る系譜には『天照皇大神=豊受大神』という記述が残されている。
これは『豊受大神』=【太陽神】と勘違いしてしまうが、『豊受大神』はあくまで【月の神】である。
保食神(うけもちのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
大気都比売神(おおげつひめ)
豊受姫(とようけひめ)
記紀にも素戔嗚命や月読命と共に登場する神々でもある。
それは【月の神】【大地の神】であることを指している。う
天照皇大神の天岩戸隠れの後、岩戸から引き出したのは『太陽神』ならぬ『月の神』であり、その『月の神』を『太陽神・天照大御神』として【神武天皇】の物語が始まり、やがて【大和朝廷】へ至り、現在の【日本】となっているのだろう。
それゆえ【日月神事】では『天地逆さま』『日の丸に・が無い』と散々言っているわけである。
⦿の真ん中の・が日であり、外側の〇は月で、合わせて【⦿日月】となる。
つまりは、『日の丸』は『月の丸』なのだということである。
本来、月の支配である【月読命】となる【豊受大神】が、伊勢の外宮で世を構っているわけであり、天照大御神とされ伊勢に祀られた豊受姫を慮ってか、神功皇后の時に顕れた【撞賢木厳之御魂天疎向津媛命 (つきさかきいつのみたまあまさかるむかひつひめのみこと)】
その時に【剣の女神】の一人【市杵島姫命】を置いたのだと思われる。
以前、伊勢に行くとこの女神が出迎えてくれた。
それを空海は所々に印を置いて示唆していた。
更に、空白となった【月読命】の位置に【素戔嗚命】が代わりに就いて、【夜の食国】を守護してきたわけである。
それが今、元へと変わろうとしている。
全く元へ戻るわけではなく、新たなかたちで「本来在るべき姿」へ戻ろうとしている。
それゆえ
【偽りの国】は一度潰れなければならない。
潰して平らにして新たに一から造りなおし・・・なのである。
【月の国】から本来の【日ノ本】へ・・・
そして、逆さまであった【月日の世】から【日月の世】へ・・・・
それゆえ神界、天界では忙しく動き回っている。
神界では終わり、天界でもすでに終わった。
次は現世の番である。
新たな弥勒の現世へ行ける【御魂】となられるよう「改心」急がれよ