『掴む』 ~神の教導 | 神人一致の癒奏術・響庵

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自分で自分をストイックに追い込める人は『理(ことわり)』を【掴む】のが早い。

人は追い込まれれば追い込まれるほど『無我夢中』になり『集中力』が上がり、その中から自らの『宝』を見出す。

『苦』の中に『楽』在りとはそういうこと。

 

初めから『楽』ばかり追い求め、『喜び』ばかり追い求めていては、自分の中に在る『宝』に気付かない。

それは『苦』や『悲しみ』や『痛み』の中にある『至宝の喜び』。

苦しさも悲しさも痛みも怒りも、やがて喜びへと巡るための恵み。

それがわかれば人は『掴む』ことが出来る。

 

 

神の『教導』は高ければ高いほど苦しさも悲しさも痛みもある。

だがそれは『至宝の宝』を受け取ってほしいがための神々の愛である。

その自らの中に在る『宝』を掴めれば、もはや二度と同じ苦しみは無い。

 

しかし人は苦しみから目を逸らし逃げる。

だから掴めない。

 

 

神の『教導』はいつも突然である。

そして容赦はない。

ある日ある時突然追い込まれ、無我夢中になっているところに『導き』は訪れる。

例えば、高いところから落ちて行く中で、神の導きが来るようなもの。

地面に叩きつけられる前に『掴む』という追い込まれ方もある。

しかし、そこで『掴む』ことが出来たなら、地面に叩きつけられる前に、背中から翼を広げて飛び立つことが出来よう。

そんな追い込まれ方も時にはある。

だがそこで掴み得た宝は『至宝の宝玉』である。

 

 

苦しみと和し

悲しみと和し

怒りと和し

痛みと和し

喜びへと和してゆく

和すとは

苦しみも悲しみも怒りも痛みも『抱く』ということ。

抱いて調和して呑み込み一つになる

そして喜びへと還す

一人の『苦』が二人三人四人と和せば

苦は和らぎ楽になる

当たり前の道理

 

そんな当たり前を忘れ

おのれの楽ばかり求め

やがて袋小路に行き当たる

調和調和と言いながら

いったい何処に調和がある?

調和だ光だ喜びだと言い

逃げ道ばかり探して袋小路に追い込まれ

夢の世界へと逃避行

夜の世界に光無し

 

 

人の苦しみと和せる者

人の悲しみ怒り痛みと和せる者

和して『楽』にすること

それが『光』

 

 

和して和らぐ光りを望むか

夢を見るための夜の闇を望むか

 

 

和すことこそが癒し

そこに神の癒しが訪れる

和の調べを奏でることが

癒しを奏でる神癒となる