天疎向津媛命(あまさかるむかつひめ)のところへ・・・と思い立ち、御神酒を持って【廣田神社】へ向かう電車の中で、廣田神社に【南宮社】という摂社があり、それが毎年「福男」を決める神社のレースが行われる「えべっさん」こと【西宮神社】の中にあるということを知り、ひとまずそちらへ向かうことに。
調べてみると、元々は廣田神社と西宮神社は同じ一つの神社(おそらく廣田神社)であったという。
それが分離されて現在のように別々の神社として存在している。
しかし、分けきれなかったものがおそらく【南宮社】なのだろうと思う。
その摂社の御祭神は『豊玉姫』
「こんなところにいらっしゃったのか・・・」と今更ながら思う。
先週、豊玉姫の生地とされる福岡の糸島にある【志登神社】まで行ってきたところである。
西宮神社で一通りご挨拶をして廣田神社へ向かう。
すると、西宮神社でお参りをしていたおじさんに再び出会う。
珍しいこともあるものだな・・・
今度は廣田神社から北方にある摂社【風神社】へ・・・
この風神社が住宅街の入り組んだところにあり、探すのにすこしグルグルと道を回る。
細い路地のようなところを入っていくと、やっと見つかった・・・
そして風神社を後にして「さて帰りにご飯でも食べようか・・・」とマップを開くと、なぜか【越木岩神社】が出てくる・・・(-_-;)
「行けということか・・・」
しかたなくそこから徒歩で30分ほどのところにある【越木岩神社】へ向かう。
「腹減ったなぁ・・・」
そんなことを思いながらテクテク歩いていたら、目の前に綺麗な景色が広がる。
さらに後ろを振り返ると虹が・・・・
少し気が晴れた(笑)
そして【越木岩神社】
地図を見ながら歩いていて気付いたことが多々あるので、帰ってからいろいろ調べてみると、いろいろなことがわかってきた。
まず、廣田神社の神域はかなり広範囲にわたっていたのだろう。
おそらく越木岩神社もそうなのだろうと思う。
周辺の摂社を見るとその巨大さがうかがえる。
さらに摂社のライン上に門戸厄神東光寺も乗ってくる。
さらに範囲を広げると、清荒神までラインに乗ってくる。
そして、越木岩神社を通って六甲山神社(むこやまじんじゃ)へとつながるラインがあり、さらには六甲比命神社(ろっこうひめじんじゃ)磐座から六甲山神社を通り、清荒神を抜けてさらに中山寺まで繋がる。
廣田神社から東にラインを伸ばせば芦屋神社を通り保久良神社に繋がる。
清荒神の関係性は何なのだろうと調べながら「ん?三宝荒神?」ということに気付く。
三宝荒神とは「仏法僧の三宝を守護し、不浄を厭離(おんり)する佛神」とある。
また「『大荒神経』では、姿は天女と記されており、また文殊菩薩、不動明王、ビナーヤキャ(歓喜天)と同体とされ・・・・」
これはまるで「宗像三女神」と同じではないか・・・
しかも三女神の神社の神紋も「三宝」である。
(厳島神社・奥宮)
三女神も元は一つの十拳剣(とつかのつるぎ)
剣は神武の象徴、そして荒魂でもある。
この三女神の三相一体の姿が瀬織津姫であると確信している。
おそらく向津媛命も三相一体の天女の姿の荒魂と言いたいのかもしれない。
そしてさらに地図を広げてみる
廣田神社から芦屋神社、保久良神社をぬけてさらにラインを伸ばしていくと、元来の【生田神社】に繋がる。
生田神社は元は布引の滝近くの山上にあったが、山が崩れたため現在の場所に移転している。
その元の生田神社の場所に真っすぐ繋がる。
六甲山の東の端にある廣田。
そして西の端にある生田。
その頂点に六甲比命神社磐座がある。
ちなみに「六甲山(ろっこうさん)」という呼び名は明治以降からで、それまでは「武庫山」と呼ばれていた。
「向山(むこうやま)」が「武庫山」という文字に変わったといわれている。
そしてさらに昔のころは「向津嶺(むかつお)」と呼ばれていた。
「向こうの山」という意味で「向津嶺(むかつお)」という。
では、はるか昔は六甲山神社の呼び名も違っただろう。
六甲比命神の磐座の呼び名も違っただろう。
【向津媛命】の磐座
そうなる。
では「瀬織津姫」とは?
おそらく一つの「通り名」であろう。
秀真(ほつま)でのその名前が現代では一番通っている名であるからそれでいい。
名は一つではない。
人間でさえ一つではない。
ましてや悠久の時を生きる神が一つの名でおさまるはずもない。
ただ・・・
言葉には力がある。
言霊の力
それが名の違いで大きく変わる。
『撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)』として現れるとき・・・
そのエネルギーはさらに大きく力強い。
『肚をくくれ』
再びそう言われているようだ。