禍霊、依霊を寄せぬ【荒御霊】 | 神人一致の癒奏術・響庵

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禍霊(まがひ)、依霊(よりひ)というものは、常に人に影響を与えます。

最近それがよくわかるようになってきました。

 

人の思念や怨念、蛇や狐狸の類いから、悪魔と呼ばれるようなものまで・・・

呼び方は様々あるようですが。

 

上に繋がれば繋がるほどに、その影響が実は四六時中、隙を見つけては『絡んでくる』ことに気付き始めました。

 

 

ほんのちょっとした心の隙間に、最初は小さな小さな事として『依って』きて、その流れに乗ると、少しずつ大きな事へと導いてゆきます。

または、こちらにされては困ることがあれば、その邪魔をしてきたり・・・

しかしそれは自分の心にある『隙』を突いてくるわけで・・・

『隙』とは、欲や怠惰や恐れや傲慢さ・・・

人が宿命的に持っている『エゴ』を刺激してくるわけです。

 

 

神も悪魔も同じように『導き』を示します。

それをより分け判断する心の基準がなければいとも簡単に間違います。

その基準とは・・・

 

神の心

 

誰もが持っている『良心』なのでしょう。

 

 

 

自分がいったい『何』に導かれているのか?

いったい『何』を目指しているのか?

自分の良心は『何』と言っているのか?

 

常に自問自答しながら、導きの『言霊』たる【思意】の波動を聞いています。

 

 

そうしていると、突然横入りしてくる『導き』もあったりするわけで・・・

ついつい迷わされることもあります。

 

それもだんだんと高度化してきているのも感じます。

ほんとに「あの手この手」を使ってきます。

 

 

 

 

現代人はすっかり【荒御霊】が削がれてしまっていると思います。

荒御霊は禍霊、依霊を防御する壁となるものです。

その『壁』が取り除かれ、その奥にある【和御霊】も荒らされて、『調和』を壊し『孤立』がはかられてしまっています。

その更に奥にある【幸御霊】も荒らされて、愛無き『情け』を揺さぶられ、『情け』こそ正義と言わんばかりに『偽善』が横行する。

そして最奥にある【奇御霊】まで荒らされて、人が人としての『道』を見失いしありさまとなる。

 

 

【荒御霊】とは【神武】であると最近学びました。

天地神明の理(ことわり)たる【道】を守る『武』であると。

『武』とは『戈』を『止める』こと

ゆえに神武とは『道』を荒らすものを止めることです。

 

 

道を荒し、愛を荒し、調和を乱し、勇を蝕むものを止める

そのために人は【荒御霊】を授かっているのです。

伊勢神宮で、何故わざわざ【荒御霊】が祀られているのでしょう?

それは【荒御霊】の大切さを教えてくれているのだと思います。


大切なものを荒らさせない、犯させない。

そんな強い決意の現れなのだと思います。

 

 

 

日本で唯一【神武】を貫いた武人が【楠木正成公】だと言います。

そして、その神武が戦国の世で【上杉謙信公】に引き継がれました。

かれは楠公を尊敬していた人です。

そして二人とも【毘沙門天】の化身となった。

 

 

 

いつも禍霊、依霊の祓いが始まると、毘沙門天の真言が始まります。

人の体をあちらこちらに逃げ惑う禍霊、依霊を、毘沙門天が的確に捕らえます。

不動明王が焼き払うこともあります。

千手観音が無数の依霊を捕らえます。

竜王たちが誰も逃すまじ、と飛び交います。

弁財天が水に流し

地蔵菩薩が大地に飲み込み

黒龍が全てを飲み込み

毘盧舎那仏が光へと還します。

それでもダメなら姫が剣で切り伏せ

預かった剣で自分が切り伏せ

それでも逃げるものは摩利支天となった龍が追いかけます。

 

体の、心の奥に隠れても、毘沙門天の捧げる法塔が、光のもとに導きだします。

 

光に還るもよし
闇に留まるもよし
しかれども、人の魂を穢すことは許すまじ。

 

 

大切なのは【祓い】で終わらぬということを理解して、自らで【祓う】ことをしなければならない。

禍霊、依霊を寄せつけない【荒御霊】こそが【祓い】の要となるものです。

 

自分の【神聖】なものを守る『勇』たる【荒御霊】を取り戻してほしいと願います。