探偵とは時に『人を騙す』仕事です。
自分が創作した【物語】の中に人を引き込んで『情報を得る』わけです。
【物語】を創作する際に全てを【嘘】で創作すると、物語に【信憑性】が無くなってしまい、【信頼】が得られなくなてしまう。
だから【物語】の八割、九割は【事実】で固める。
そして残りの一割、二割で【情報】を得るための【嘘】を混ぜて、【誘導】するための【嘘の物語】が完成します。
八割、九割が【事実】だから残りの一割、二割の【嘘】も【まるで事実のよう】なものとなり、人は『騙される』のです。
だから『人の嘘』が手に取るようにわかります。
テレビや新聞などメディアの【嘘】や【誘導】も簡単にわかります。
ただ、最近のメディアは以前のようにこっそりと【嘘】を隠すこともせず、堂々と【嘘】を喧伝していますが人は気付かない。
それは『嘘をつかない』と初めから【決めて】情報を得ているからです。
それ以上に【依存】があるからでしょう。
そこに『寄り添っていれば安心』という依存です。
だから情報の【真偽】には頓着していない・・・とも言えます。
これを【思考停止】と言います。
大ウソつきというのは九分九厘素晴らしいことを言います。
そしてそこに一厘の【嘘】を混ぜて人を騙します。
九分九厘の素晴らしい【真実】が、一厘の【嘘】を【真実】に変えてしまいます。
更に大悪党ともなると一厘の【嘘】の部分を【真実を語らない】ことで【真実】を捻じ曲げてしまいます。
こうなると【嘘】が無くなり見分けがつかなくなる。
【誤解】による誘導
【解釈】を誘う誘導
だから人は【騙される】わけです。
ですが、注意をはらって聞けば『語らない』ことによる【違和感】というものがあります。
【物語】の大事な部分が欠落しているという違和感があります。
その自分の【感覚】を信じられるか?
それとも大勢に倣(なら)う心理が働き【依存】へと傾くのか?
現実の世界でも見分けが難しいもの。
これがスピリチュアルの『見えない世界』なら猶更のこと見分けは難しい。
スピリチュアルの世界には、この【誘導】が蔓延しています。
それだけ【自立】よりも【依存】を選択している人が多いということでしょう。
ですから【騙されるな】という言葉は何の意味も持ちません。
騙されるとか騙されないとかの問題ではありません。
【自立】するかしないかの問題なのです。
『答えは自分の中にしかない』
その【真理】に従えるか否か・・・
『○○が言っているから間違いない』ではなく『自分の心が告げていること』を捻じ曲げずに真っ直ぐ見つめ受け止められるか・・・
【自立】と【依存】の選択です。
ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』の中でツァラトゥストラは
『我を疑え。さすれば我に回帰せん。』
と語っています。
自分の中に在る真実と照合して、本当に一致するなら『回帰』するでしょう。
その『照合作業』が【思考】です。
【思考】と【思い】は違います。
これを多くの人は勘違いしているのではないでしょうか?
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深く掘り下げるのはやめておきましょう(^^;
別の迷宮に入りますから・・・・
【自立】するとは自分の意思、自分の考えを堂々と語り、行動し、【責任】を持つことを言います。
心と言葉と行動の一致
それが【誠(まこと)】というものです。
言ったことを成す
ということです。
【自立】するか否か
自分の【柱】を立てるとはそういうことです。
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さあ、選びなさい
そして【選んだ】という【事実】を胸に刻み付けなさい
そして自分の【真実(まこと)】を成しなさい
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龍は立ち上がる力
地上に最初に生まれし『葦』
天に向かって伸びあがる力 『太しき宮柱』を立てた人へ
天地を繋ぐ力を与えよう
大地から渦を巻き立ち登る弁財天の力
それは必ず自身の『宮柱』の支えとなるでしょう
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自らの【情熱】無くば『柱』は立たず
情熱】は自らの『柱』を支える根なり
自我と真我の一致無くば【情熱】の矛先定まらず
『柱』は傾き何時までも立たず
自らの【情熱】を掲げる【創造者(アーティスト)】たちに『力(エネルギー)』を分け与える
それが【弁財天】とも呼ばれる【瀬織津姫】の願いであり意思でもあります
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技の伝授 : 手足の経絡、リンパ、筋肉へのアプローチ 頸部、頭部へのアプローチ これらの技術を伝授します。
力の伝授 : ヒーリングエネルギーの力の源となる【龍】との【結び】を行います。 そうして結ばれた【龍】の力で『ヒーリング』の力が発動されます。
力の源の【龍】と、その力の使い方を伝授します。
癒奏術・Yuragiセラピー 弁天の章
【情熱】無きもの寄るべからず ~癒奏術・弁天の章
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