現実的な世界観の中で、スピリチュアルの世界観を持ち込むことは御法度のようで、その逆もまた然り・・・
スピリチュアルの世界観の中で、三次元の倫理観を持ち込むことも嫌がられます。
おそらく自分がしていることは、両方の世界観に両方の倫理を持ち込むが如くのことなのかもしれません。
今まで継承されてきた『人の心身』に関する論理や世界観を揺るがせることなく、『魂』の世界であるスピリチュアルの論理・世界観を統合しています。
ただ単に土台や器となるものに、めったやたらと詰め込むのではなく、『揺るぎない確信』のもとでスピリチュアルの論理を融合させたもの・・・
それが『癒奏術・ゆらぎセラピー』です。
いまだこの二つの領域は分離されており、それぞれがそれぞれの倫理のみで世界が広がっているように思います。
根本となる中心がかけ離れているため、二つの『円』が重なる部分は増えてきてはいるものの、相変わらず『中心軸』は離れています。
『分離の思考』を戒めているはずのスピリチュアルの世界が、分離した『中心軸』をそのままにしています。
「自分が正しい」
その思考が中心軸を一切『譲らない』姿勢となっているのかもしれません。
世界の・・・宇宙の『次元世界』は天高くに、地下深くにあるのではなく、常に『重なり』の中にあります。
まるでヴェールがかかるように・・・・
様々な『次元の海』の中に人も世界も存在しています。
そんなヴェールが折り重なるような『次元の海』の中心は、すべて同じはずです。
人の中心は肉体であれ心であれ魂であれ・・・なんら変わることはありません。
だから、『倫理の軸』も『世界観の軸』も同じであるはずです。
あえて『論理の軸』をずらすというのは、『分離』を望む心に他なりません。
そこには「エゴに敗れ光を失った魂」の『逃げ場』となっているのでしょう。
自分の中の『中心軸』がブレることなく盤石であるなら、どちらの世界も同じ『中心軸』に出来るはずです。
見たくないものを見ないため、両者の間を離して『逃げ場』とする。
そうしている限り『分離』は延々と続いていくのでしょう。
人として・・・
肉体を持ち、欲を持ち、エゴを持ち、醜悪さを持ち、理想を持ち、心を持ち、感情を持ち、恐れを持ち、勇気を持ち、魂を持ち、使命を持ち・・・・
これらはすべて『一人の人間』に内包されたもの。
だから、肉体もエゴも心も魂も、すべての『中心軸』は同じものです。
様々な『次元』にそれぞれがそれぞれのカタチで干渉しながら、『次元の重なり』の中で生きています。
天地ほどの距離のあるような次元の隔たりでさえ、重なりの中にあります。
けっしてブレることなく何層にも重なり合う『次元の海』
そこに『分離』などありません。
自分の中心をブレさせないこと・・・
それは「自分をすべて受け入れること」から始まります。
けっして自分から逃げず、自分と向き合い、自分の全てを受け入れる。
そんな自分の全ての『中心』が『軸』となり、けっしてブレることのない世界を生み出します。
そして、それが世界を統合し、世界観を広げて『豊かさ』『可能性』を広げることにつながります。
世界は『目に見えている以上』に広大で深淵なものです。
そして、その『世界』がどんどん広がって、深まってきています。
そんな広大で深淵な世界へ飛び立つには、自分の真ん中・・・『中心軸』を持つことです。
世界を外殻で捉え認識して、そこから自分の中心を推測するという今までのやり方では、中心軸をブレさせないために、自分自身の世界観を固定してしまうだけです。
外殻が広がった分だけ中心軸がズレるからです。
そのような認識の仕方では、世界が広がることはなく、変化を起こすことも出来ず、『世界観』という『殻』に閉じ込められてしまうばかりです。
世界から自分の中心を見るのではなく、自分の中心から世界を見る。
それが世界を正しく捉えるということです。
自分自身から・・・
自分の真実から一切目を背けることなく、すべてを受け入れたとき、世界の広大さを垣間見るでしょう。
そんな世界への『扉を開く』ものとして、『心と身体と魂』を見つめ続けてきました。
『心と身体と魂』の中心は全く同じです。
手段としてボディセラピーもヒーリングも、中心は全く同じです。
だからこそすべて同時に癒す『癒奏術』が出来るのです。
新しい世界への扉・・・
それは『自分の中心』にあります。
その扉へ案内するもの・・・
それが『癒奏術・Yuragi Therapy』です。