MBAのゲーム理論を学んでいた中で「囚人のジレンマ」という「マトリックス」を使った「意志決定戦略」の理論がある。
例えば、2人の共犯者である囚人に、それぞれ尋問をする際、片方の囚人に「裏切った」と思わせるか、それとも「裏切っていないと」と思わせるか・・・
そして、もう片方の囚人にも同様にする・・・
それらの状況を仮定して、どの選択の時に最も「自白」をするのか?
つまりは「自白」へ到達するための「最善」を見つける理論で、それをマトリックスを使って思考を進めるわけである。
確率論的な数学ではあるが、数学と心理学が融合した面白い理論ではある。
*囚人のジレンマ-Wiki pedia
この「囚人のジレンマ」のケースでは、マトリックスはわずか4つのマスしかないが、これをどんどん増やして複雑化することも当然出来るわけです。
幾何学模様
5次元領域への覚醒の初期段階で、自分が宇宙大に広がった感覚を味わうと同時に、光のラインアートのような幾何学模様を目にする。
目にする・・・とは「意識」の上でということである。
私の場合、今年の初めごろにフラワーオブライフのような幾何学模様のマス目の中で、光がランダムに点滅していたのを目にしたわけであるが、その時に感じたのが「マトリックス」という言葉。
「囚人のジレンマ」ではわずかに4つのマスしかないが、それがフラワーオブライフほど無数のマスが存在している・・・と感じたわけです。
では何のマトリックスか?
それは全くわかりませんでした。
考えられることはいくつかありますが、それは「考え」であって真実かどうかはわかりません。
ですので放っておいたわけです。
意識の点滅
人は眠りに落ちる瞬間や、目覚める瞬間に、脳波が「Θ波(シータ波)」になると言われています。
脳波がΘ波になる時に、あちらの世界とコンタクトがしやすい状態になるとも言われています。
だから、眠りの瞬間や目覚めの瞬間に、「導き」の声が届くことが多いわけです。
瞑想でその状態に持っていくこともありますね。
そしてたぶん、「明晰夢」というのは、Θ波での眠りの時間が長いのだろうと思います。
今日、長い長い明晰夢の中で見せられたものがあります。
それが、五次元領域から見た「自分の思考の可能性要素」の数々です。
無数に、かつランダムに、現れては消えていく「思考の可能性要素」の数々・・・
ゆったりとした点滅・・・という感じです。
そして、その要素の中から選択し、更に連続して選択し続けているものが、自分の思考上の「現実」である・・・ということです。
三次元の脳では追いつかないほどの、数々の要素があちこちで生まれ、一つを選択すると他の要素が消える・・・
そして、更にその選択から無数の要素が生まれる・・・・
それを「光の言語」で見たときに、「光の幾何学模様と点滅」というふうに認識したのだと気づきました。
映画「マトリックス」の中で、ネオがソースと対話しているとき、ネオの「要素」が背景にある無数のテレビ画面のビジョンに映し出されていて、ネオが一つを選択すると、そのビジョンが物語の本筋になって行きました。
明晰夢の中で、ちょうどあれ(ビジョン)が「立体的」に見えた・・・ということです。
そして、ビジョンは常に点滅して、生まれては消え、消えては新たな「要素」が生まれて・・・を繰り返している。
それが三次元領域の意識と重なる五次元領域の「自分の意識」でもあります。
フォーカスの基準
無数にある要素の中から、どの「要素」を選択するのか?
そして、選択し続ける・・・ということが「フォーカス」するということです。
一つの要素に焦点を合わせ続ける・・・・それがフォーカス。
では、何を基準に「要素」を選択して「フォーカス」を続けるのか?
それで人生が決定されていくわけです。
それも映画「マトリックス」では語られていましたね。
その基準となるもの・・・
その根源は何なのか?
ということが大切です。
選択の奥の奥にある根源部分に「恐れ」がある。
それが現代に至るまでの「社会システムの基盤」となっているわけです。
非常に巧妙に埋め込まれたこのシステムは、「管理」という立場から見たとき、人間管理に最も適したものかもしれません。
恐れ
この「恐れ」とは何なのでしょう?
人には「喜怒哀楽」の感情が備わっています。
ですが「恐れ」という感情は本来ありません。
では「恐れ」とは何?
人には動物としての「本能」があり、その中に当然組み込まれている「防衛本能」があります。
心理学でいう「防衛機制」というものです。
その「防衛機制」に訴えかける「システム」ということです。
「防衛機制を利用する」と言うのが一番適しているでしょうか。
そして更に、システム要素として、反対側(対面側)に「快楽(愉快で楽しいという意味)」を置く。
快楽を想像すると、今度はその「快楽が失われる」という感覚が芽生えます。
そんな「失われる」という感覚が、うまく防衛機制にヒットします。
生命の危機に際して発動される防衛本能。
それらを想像し、仮定する心から生まれる防衛機制。
あとは「想像の幅」をどんどん広げてやれば、「快楽」を増やすと同時に「失われる」感覚も当然のことながら広がり増えていきます。
「得る」と「失う」という「一対」になった理(ことわり)が存在するわけですから。
「有る」と「無い」
この二極性が三次元世界の理です。
有る喜び・・・
無い悲しみ・・・
この「無い」という「想像」に対して「恐れ」という言葉が当てはまっています。
恐れの支配とは、人間の原始的な「本能」に対するシステムです。
ですが、最初は「有る」に対して「無い」を恐怖していたはずですが、いつしかそれが逆転して「無い」を無くすための努力をすること・・・・
そうすることで「無い」状態にならない・・・
そんな思考となる社会システムとなっています。
もはや「有る」がどこかへ行ってしまったようになっています。
そこに登場したのが「引き寄せの法則」という「有る」への可能性へと導くシステムです。
だから多くの人が飛びついた。
「反対側」「対面側」へ行けるという歓喜でしょう。
しかし・・・
結局は「システム」という柵の中の出来事でしかありません。
システム自体が「有る」と「無い」の二極性なのですから・・・・
相変わらず「無い」「失う」という「対面」の要素の中に存在しています。
ただ「在る」もの
ただただ在るものは、決して失われない。
在るものはあり続ける・・・
それは変わらぬ宇宙の理(ことわり)です。
三次元では物質が形を変えることを「無くなる」と言います。
ですが、もともとあった要素は無くなってはいません。
カタチを変えただけです。
般若心経で観自在菩薩が舎利子に言って聞かせていたのがこれですね。
失われるのは「得る」ものです。
もっと言うと「得る」と考えるものです。
「得る」と考えるから、対極に「失う」が生まれます。
これを言葉に混ぜて人に勘違いをさせれば、システムは出来上がります。
富を得る
愛を得る
勝利を勝ち取る
夢を叶える
他にもまだまだたくさんありますが、すべて対極に「失う」を混ぜた「言霊」です。
富とは、本当に「得る」ものでしょうか?
勝利は得るものでしょうか?
夢も追いかけて得るものでしょうか?
そして・・・
愛は「得る」ものですか?
すべて「在る」ものです。
たった一つの魂の願い
人が「得たい」と考えるもの・・・
たくさんあるのでしょう。
ただ、その奥の奥・・・根源にあるものは何でしょうか?
そこに「たった一つの魂の願い」があります。
この世に生を受けた意味であり目的であり楽しみであり・・・・
その根源にあるものこそが「在る」ものです。
何がありますか?
よくよく目を凝らして、目をそらさずに見てください。
たった一つだけ願いを叶えるとしたら、何を願いますか?
「他には何もいらない」と言えるほどのもの・・・
それが魂の中心軸であり、魂の願いであり、生きている喜びのはずです。
「得る」という概念で培われた「失う」という「恐れ」の概念が、目を曇らせて「見せないように」してきていました。
そんな「得る」や「失う」を超えて、たった一つの「在り続ける」ものが、魂の真ん中にあります。
何度も言います。
たった一つ願いを叶えるとしたら、何を望みますか?
北野坂如水庵