Yuragiメソッド統合へ向けて | 神人一致の癒奏術・響庵

神人一致の癒奏術・響庵

ホリスティックセラピスト、ヒーラー、アロマブレンダー、メディカルハーブ、薬膳・漢方等々、様々な「癒し」を奏でる『ヒューマンセラピーメソッド』
それが【癒奏術】です。

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6年前までは「闇の世界」で戦っていたところを、交通事故によって何故か「セラピー」と言う「光の世界」に飛ばされてきたわけです。

 

以来、セラピーに専念して今まで来たわけですが、ふと振り返ってみると、過去は決して闇の世界ではなかったのだなと感じます。

 

世界には光も闇も当然のように存在します。

 

そして、人の心にも両方存在しています。

 

誰一人例外なく・・・・

 

 

昔は「社会」という枠組みで捉えていたものを、セラピーをすることで、もっと小さな枠組み・・・

 

人間一人ひとりの世界を深めてきたように思います。

 

以前も、当然心理学などで人間という個人の内面を学んで、調査と言う実践で役立ててきたわけですが、それは社会や生活や人生と言う流れの中での「個人」という物の見方をしてきたわけです。

 

ですが、セラピストでは個人の身体や心の「今」という狭い範囲で、そこから奥へと深めていく認識の仕方で見ていることが多いようです。

 

この6年間はそんなものの見方を習得してきた感じです。

 

 

そして、あらためて振り返って社会や世界を見てみると、過去とは違った視点に立っていることがわかります。

 

 

 

 

社会の悪いところを排除していけば、社会は良くなる・・・・

 

この思考はまるで現代の悪癖のように思います。

 

 

身体の悪いところを排除すれば完治・・・・

 

そんなわけないのと同じなのです。

 

 

 

スピリットの観点では、たとえどんな人間でも「不要」な人間などいない。

 

皆、世界にとってかけがえのない存在である。

 

悪人でさえ・・・・

 

 

じゃあ身体は?

 

たとえどんな細胞でも「不要」な細胞などなく、人体にとってかけがえのない細胞たちです。

 

 

 

悪を排除する・・・

 

これが現代の思考です。

 

ですが、私の考えるセラピーの思考は「善悪和合」です。

 

 

 

光の凝縮が強くなる部分は、それだけ影も色濃くなります。

 

光が凶器になる・・・ということもあるわけです。

 

凶器となった光が闇を色濃くする・・・

 

それがこの世の理ではないでしょうか?

 

 

 

この世には「形」というものがあります。

 

それは光と影が織りなす造形でしょう。

 

光だけでは形にならず、影だけでも形にならず・・・・

 

両者の調和が造形を生み出しているわけです。

 

 

 

 

宇宙は「空」という闇に光の造形が瞬いています。

 

闇があることで光という造形が美しく輝いているわけです。

 

 

 

 

 

ヒーリングの世界では、人は本来光である・・・・

 

あちらの世界は光である・・・・

 

すべては光で出来ている・・・・

 

 

 

わかりました。

 

それを思い出せということですね。

 

 

でも、今はあちらの世界で生きているのではなく、こちらの世界で生きています。

 

こちらの世界は「光と闇」の世界です。

 

それは変えようもありません。

 

 

 

 

闇とは、影とは何なのか?

 

それは「光」の裏側です。

 

では悪とは何なのか?

 

それは「善」の裏側です。

 

 

 

私たちが見ている悪・・・

 

その裏側には「善」があったりします。

 

悪人の裏側には善人なるものがいます。

 

悪いと言われる細胞の裏側には、善なる細胞の側面が存在します。

 

それは何か?

 

 

視点です。

 

 

視点の違うところに立てば、物は違った様相を見せます。

 

当たり前のことです。

 

でもそれがなかなか出来ない・・・・

 

そこに「排除の論理」の思考が生まれます。

 

 

 

 

光にそもそも善悪はありません。

 

そして、闇にも善悪などありません。

 

ただ単に善悪を「定義する視点」に立ってしまっているから、そんな判断をしてしまうのでしょう。

 

 

視点は視点でしかありません。

 

そこに正しいも間違っているも存在しません。

 

 

 

闇は悪ならず、光は善ならず

 

表裏一体の現象にすぎません。

 

 

 

「私は光で満たされている」

 

そう思う時・・・

 

その光が「影」を生み出していることを忘れてはいけません。

 

 

「私は闇の中にいる」

 

そう思う時・・・

 

裏側には「光」が満ちていることを忘れてはいけません。

 

 

自ら善人であると誇る時、その裏側には「悪意」が忍び寄っています。

 

自ら悪人であると思う時、そこに至る発端などに「善意」が輝いています。

 

 

 

 

 

 

最初に戻って・・・・

 

社会を改めて見たとき、光と影の境界線がくっきりと色濃くなってきているのがわかります。

 

光は鋭く硬く、闇は色濃く暗い・・・

 

 

サーチライトやレーザー光線のような光で、闇を塗りつぶそうとしているのがよくわかります。

 

それが更に闇を色濃くしている原因でしょう。

 

そして、自分自身に投光する光も、ピンポイントで狙うような嗜好性の光です。

 

これではますます「影」を濃くして「闇」を深めてしまうばかりでしょう。

 

 

 

 

 

人が生きるということは、思いを大切に、身体を大切に、周りを大切にしていくものです。

 

でもそれが出来なくなる・・・

 

自分の思いを押し込めて、息苦しさの中で毎日を生きる

 

身体を酷使しても休めて滋養することなく、毎日を積み重ねてしまう

 

周りの人をないがしろにしているなど・・・

 

 

これは自らの生命のの否定です。

 

 

その「否定」された意思を反映して、身体は病となり、心は病となり、周りに阻害され、「否定」した「生」を終わらせようとします。

 

すべて自らの「意思の反映」です。

 

身体は、心はあなたの意思に応えてくれているんです。

 

 

 

病とはあなたの「意思」という「光」の裏側に出来た「影」にすぎません。

 

悪も同じ

 

善と言う名の意思の光の裏側に出来た影・・・

 

 

 

 

 

 

柔らかな光は影の造形を柔らかくします。

 

光がゆらぎ動けば影もゆらぎ動き、影が絶対ではないことを教えてくれます。

 

光の在り方が、影の在り方を変えてゆきます。

 

 

 

神の光も、太陽の光も、サーチライトのような指向性の光ではありません。

 

穏やかで強い無指向性の光です。

 

そんな光に周りを囲まれて入れば、闇は生まれません。

 

それには、自らが無指向性の光とならねば、まわりにそのような人は集まってきません。

 

 

指向性の光には明確な「意図」が存在しています。

 

その意図を無くせば無指向性の光となります。

 

それを「無償の愛」と呼ぶのでしょう。

 

 

指向性の愛情は意図を持ちます。

 

無指向性の愛

 

それは、与えようとしないこと

 

よく「与えろ」と言われますが、与えるのは「意図」です。

 

ただただ、ぼわ~~っと光っている・・・

 

それは自らを光で満たしているということ。

 

自らを愛情で満たすこと・・・

 

それが「無償の愛」なのでしょう。

 

 

みずからぼわ~~~っと光っていれば、与えなくても勝手に誰かが受け取りに来ます。

 

 

 

生命のゆらぎの光の根源はそんな光です。

 

 

 

 

人はもともと光です。

 

自ら光を放っています。

 

それを長い年月の間に塞いでしまったり、指向性にしてしまったりしているわけです。

 

そんな状態を癒して元に還す・・・・

 

それがゆらぎのメソッドが目指すものです。

 

心と身体と魂・・・・

 

その光と影の和合を求めて、ゆらぎセラピーは統合していきます。

 

 

 


 

 

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本番直前の音楽演奏家のメンテナンスから生まれた Re:ist メソッド