卓上の兵法 ~補足記事(夢の継承) | 神人一致の癒奏術・響庵

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孫子・呉氏の兵法や六韜・三略などの兵書を経営者が好んで読んだものは多い。

 

しかし、これらの兵書を生かせていた人は非常に少ないだろう。

 

 

戦いの現場というものを知らず、たぶん想像すらしていない人が多いのではないかと思う。

 

 

死地に向かう人々

 

死を賭して戦う人々

 

帰還する人々

 

それらの人々の心情を想像したことがあるだろうか?

 

 

死に向かうから恐ろしい

 

生きて帰れたからうれしい

 

 

そんな安易な心情で戦場に赴く人はいない。

 

 

 

小説を読んでも、大河ドラマを見ても、大切なこと・・・肝心なところが伝わらない。

 

 

軍隊の強さの秘訣となる根本のところは、実は兵書には細かく書かれていない。

 

それは、その時代の人々にはあたりまえのことであったから、わざわざそんなことを書く必要はなかった。

 

しかし、そのあたりまえが失われた現代では、肝心なところが「欠落」しているに等しい兵書となってしまっている。

 

 

 

 

戦いの場で個人個人の競争を煽るような武将は、はっきり言って無能でしかない。

 

これは恐らく誰かの小説の間違いがそのまま「常識」として勝手に根付いてしまったものだろう。

 

 

手柄競争など言語道断である。

 

 

競争原理で競い争うというのは、それは内部の争いと同じことです。

 

読んで字のごとくあたりまえのことです。

 

競争は個々の分離、分裂を生み出します。

 

個々に分離、分裂した敵を撃退するのは「いともたやすい」ことだからです。

 

 

 

競争しているものはやられている仲間を助けません。

 

なにせ競争しているんですから、競争相手が減れば助かりますから。

 

そして競争しているものたちは、応援もしません。

 

なにせ競争していますから。

 

 

こんな軍隊が強いわけがない。

 

 

 

よしんば競争しているとすれば、それは一際抜きんでた強者どもが、一番槍を競うことと戦いが終わった後に敵将の首の数を競うことぐらいです。

 

この一際抜きんでた強者は、競いはしますが争いはしません。

 

危ない仲間がいれば助けますし、競っている相手だとしても助けます。

 

自分の命に責任を持ち、自分の行動で兵勢が変わるのを知っているのでそこにも責任を持っています。

 

その責任を持った上での「余興」としての競いあいです。

 

 

この時代の人たちは「競争」は内部分裂を起こし、やがては家の、国の崩壊を招くことを当たり前のように知っていたはずです。

 

しかし、それを知らない現代の作家は、現代の原理を戦国時代に当てはめてしまった。

 

 

 

上杉軍団は強い。

 

日本で最も強かった軍団です。

 

上杉軍団の兵士は戦いに挑む際、一言もしゃべってはいけなかったそうです。

 

しゃべると処刑されます。

 

戦いが始まるまで寡黙に押し黙ることで、身体の内部に気勢(エネルギー)が溜まることを上杉謙信は知っていた。

 

そして兵士たちは体内に限界までため込んだ気勢を、戦いの場で一気に解放したとのことです。

 

 

さらに、上杉軍団の兵士の行動の統制は見事に一致団結して、常に集団の密集隊形で戦いに挑んでいました。

 

それは個人個人がばらばらに動くと、それだけで格好の餌食となるからです。

 

常に密集しているから、そこに挑む敵は常に「大勢」と戦わなければならない。

 

そして上杉軍団のエネルギー溢れる勢いがあります。

 

もはや止められるものなどいません。

 

 

 

上杉謙信は言いました。

 

「どんなに数の多い敵でも、八千の兵があれば勝てる」

 

兵は数だけで計れません。

 

勢い、行動、心情など、兵士一人一人のことまで理解して初めて「名将」となれるのでしょう。

 

だからこそ兵士は安心して命を預けられる。

 

そして、たとえ死んでも国の風景を愛し、民を愛し、百姓を愛し、作物を愛する上杉謙信を知っているからです。

 

越後の雪景色を美しくするため、越後の家々はすべて焼き板張りだったそうです。

 

雪景色とのコントラストの美しさは見事だったことでしょう。

 

越後屋三井を育て越後を豊かにし、治水を施して越後を米どころの国にし、越後の酒造を奨励して自らも酒を愛し、信義を重んじ礼を重んじる態度が、人々からも愛されたのでしょう。

 

しゃべっただけで処罰する恐ろしさは、全員生きて帰したい覚悟の現れです。

 

一兵たりとも損じたくない思いが、軍団を強くしていったのでしょう。

 

 

 

 

「競争」は戦いのない平和な時代の産物です。

 

しかしそれは企業や社会で行うことでは決してないはずです。

 

テストの点数を競う。

 

それは学校行事の一つとしてあればいい。

 

足の速いのを競う、力の強いのを競う、頭のいいのを競う。

 

そうして個性を磨き上げて、のちに社会に出て「一致団結」した絆のもので能力を発揮すれば、その集団は「上杉軍団」のごとく「無敗」の神話を築くでしょう。

 

 

 

戦い争うことを忌み嫌ってここで書いているわけではありません。

 

平和な時代におよそ平和でない人生を送ってきたからこそ言えることです。

 

ただ

 

戦う相手を間違えるなと言いたいだけです。

 

仲間同士、身内同士争うことを忌み嫌っているだけです。

 

 

 

何度も言いますが「競争社会は社会基盤を弱く」します。

 

統治する権力者には好都合でしょうが、それは統治者に「能がない」ということでもあります。

 

経営者も然りでしょう。

 

だからこそコンプライアンスなどというものが生まれたわけですから。

 

統治能力がなくても統治できる「魔法の呪文」のようなものです。

 

魔法にかかった人には絶大な効果でしょう。

 

今の世の中そのようなことが本当に多いです。

 

 

 

卓上の空論では何も変えられない。

 

私自身もそのことを常に念頭に置いて向き合っていこうと思います。