
アスリートの世界は0コンマ数秒という微差を競う世界です。
スポーツ競技や格闘技の世界では、そんな微差が雲泥の結果をもたらすことになります。
武道の世界、とりわけ昔の兵法の世界では、ほんのわずかな微差が生死を分かつほど、とてつもない大きな差となってきたわけです。
音楽演奏家の方たちも、このような微差が演奏にどれだけ大きな差異を生み出すのか、よく理解していることでしょう。
子供のころから練習を積み重ね、長い年月の中で自分の100%がわかっている方も多いと思います。
ですが、私が思うにその100%は本当に100%なのでしょうか?
100%の力を出し切れている状況・・・
その認識が間違っているというわけではありません。
長い年月の中でそれはご自身が一番よく理解されていることだと思います。
ただ、私が思っているのは、100%を決めるのはまだ早いかもしれないということです。
体調も精神面も万全な状態で最善で最高の演奏が出来たなら、100%の演奏が出来たと当然思うでしょう。 その万全な体調・・・・
それがもしかするとさらに「上」の万全がある可能性があるということです。
今までの万全が100%なら、さらにその上の105%、110%という伸びしろがまだ潜在的に隠れているという可能性です。

先日、何気なくギターを弾いていて、昔ならば疑うこともなかったようなことを疑ってみました。
例えば、指の動きの遅延は練習量を増やす・・・
そうすればやがて遅延はなくなります。
これは当たり前の考え方です。
ですが、練習量だけの問題だろうか? そう疑ってみました。
そこで、自分の手や指の可動する流れを見ながら、もしかするともっと流ちょうな可動の流れが生み出せるかな?と思って少し動きの可動性を広げてみたところ、明らかな可動の違いが出てきました。
その可動の違いは可動域の違いや力の入り方の違い、スムーズさの違いと様々な変化が現れてきたわけです。
本来なら練習してステップアップするところを、セラピーでステップアップしたような状況です。
練習嫌いな私にとっては大変な嬉しい出来事でした。
恐らく、可動の変化はほんの微細な差異でしかありません。
しかし、手指のデリケートな可動はそんな微差で劇的な変化を見せてくれます。
そして、その変化で一番変わったのが「音色」です。
力の入り方、タイミング、インパクト、呼吸や気持ちとの合致・・・・
それがらスムーズになって出てくる音色に違いが出る。
ほんのわずかな微差が、雲泥の差を生むという結果に至る。
100%と認識していたものが、これを見ると実は90%くらいであったかもしれません。
それが、少しセラピーを入れることで91%、92%くらいになった程度なのかもしれません。
それでも奏でられる音は数段上質なものに変化しています。
今までの限界ラインというものを、練習以外で上げられる「伸びしろ」を誰もが持っているのではないかと思います。
演奏時の姿勢や力の使い方、呼吸のとり方といったもの以外に、身体能力を高める要素がまだ眠っている・・・・
そう考えていいのではと思います。
セラピーの世界も同じで、ほんのわずかな微差がやはり結果に大きな違いを生み出します。
1%、2%の微差を積み重ねていくことで、120%、150%の音色に変わってくるのではないかと思います。
一見、劇的な変化ではありません。
だからこそ大きな力となる「変化」なのではないかと思います。
まだまだ研究途上ではありますが、皆様にとっていい結果となれますようもう少し研鑚を積み重ねたいと思います。
