各合戦の動員人数について(13)上条河原の合戦 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、平成30年8月3日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの13回目で「上条河原(かみじょうがわら)の合戦」についてです。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

今までの記事
第1弾 江古田原沼袋合戦
第2弾 権現山の戦い
第3弾 新井城の戦い
第4弾 第一次国府台の合戦
第5弾 川越城の合戦
第6弾 第二次国府台の合戦
第7弾 ワイアットの乱
第8弾 アルマダの海戦
第9弾 ラヴェンナの戦い
第10弾 チェリニョーラの戦い
第11弾 ホルムズ占領
第12弾 ディーウ沖の海戦

というわけで、「上条河原の合戦」とはどういう戦いだったのかというと、




大永(だいえい)元年(1521年)に武田信虎と福島正成の間に起きた戦いです。

当時、ようやく甲斐(かい)統一を成し遂げた信虎ですが、治めきれずに内乱が勃発していました。
その知らせを受けて、駿河(するが)・遠江(とおとうみ)守護(しゅご)の今川氏親が家臣であった福島正成を派遣し、信虎はそれを迎え撃ちました。

正成は飯田河原(いいだがわら)から、当時建てられたばかりの武田氏の居館躑躅ヶ崎館(つつじがさき やかた)を伺いますが、それを察知した信虎軍の突撃によって敗走し、本陣を移し態勢を立て直します。

冬であったため寒さで士気の下がる信虎軍でしたが、嫡子(ちゃくし)〔のちの晴信=信玄〕の誕生により盛り返し、上条河原にて正成陣に突撃。
正成らを討ち取って勝利しました。


武田晴信についてもっと知りたい方は、下記リンクをタップしてください:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力

同関連記事:
三方ヶ原の合戦―最強の能力「豹変力」

同関連記事:
一言坂の戦い合戦に学ぶ―がむしゃらになれ


で、肝心の動員数ですが、
福島正成:1万5,000人(外征で75万石相当)
武田信虎:2,000人(内戦として5万7,000石相当)
(参考:大名が動員できる人数は?

となります。
石高でいうと(参考:大国・上国・中国・下国一覧)、当時の福島正成の所領(しょりょう)はわかりませんが、遠江国の土方城〔高天神城〕主ということで、遠江一国は25万5,000石。

これだと全然足りないので、駿河の兵力を与力(よりき)としてつけられたと考えると駿河一国の石高は15万石ですから、合計40万5,000石です。

これでも全然足りませんね。

上記の石高(こくだか)による動員人数があくまで参考数値だとしても、たかだか今川(いまがわ)氏の一被官(ひかん)である福島正成が、駿遠(すん えん)二カ国分以上の兵力をつけられるわけがないので、おそらく1万5,000人の兵力は誇張でしょうね。

上記、駿遠の石高を総動員しても約8,000人の兵力となりますが、当時今川領の西では三河(みかわ)の松平信忠が、東では相模伊豆(さがみ いず)の北条氏綱がにらみを利かせていたわけで、総動員するわけには行きませんから、せいぜい8割ほどの6,000人程度でしょうね。

ちなみに甲斐一国は22万7,000石なので、内戦動員数は約8,000人となります。
信虎の兵力が極めて少ないわけは、きっと甲斐国人(こくじん)衆を掌握しきれていなかったか、動員が間に合わなかったせいでしょうね。

というわけで、結論

・福島正成軍:6,000人
・武田信虎軍:2,000人

ということにしておきます。
当時のヨーロッパ人の戦いに比べると、人数の規模が違いますね。


福島兵庫介正成の子とされる北条綱成の登場する記事:
河越城の戦いから学ぶ―基準を満たすまで手綱を緩めてはいけない

同関連記事:
歴女にクローズアップしてほしい武将

同関連記事:
『関八州古戦録』


※写真はイメージです。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 左京大夫〔通称不明〕 源 朝臣 信虎
たけだ さきょうのだいぶ〔通称不明〕 みなもと の あそん のぶとら
・福島 兵庫介?〔上総介? 通称か官職名か不明〕 源 朝臣 正成
くしま ひょうごのすけ?〔かずさのすけ? 通称か官職名か不明〕 みなもと の あそん まさしげ
・今川 修理大夫〔通称は彦五郎〕 源 朝臣 氏親
いまがわ しゅりのだいぶ〔通称はひこごろう〕 みなもと の あそん うじちか
・松平 左近蔵人佐〔通称は次郎三郎〕 源 朝臣 信忠
まつだいら さこんくろうどのすけ〔通称はじろうさぶろう〕 みなもと の あそん のぶただ
・北条〔伊勢〕 左京大夫〔通称は新九郎〕 平 朝臣 氏綱
ほうじょう〔いせ〕 さきょうのだいぶ〔通称はしんくろう〕 たいら の あそん うじつな

参考
今日は何の日?徒然日記
北杜市ふるさと歴史文学資料館 山口素堂資料室
歴史散策―真実を求めて―

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