栃尾城の合戦―どんな手を使ってでも味方を増やす | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、平成31年1月10日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は「合戦における戦術について」シリーズの第5弾ということで「栃尾(とちお)城の合戦」について書きます。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の花ヶ前盛明氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

参考
第1弾 勝弦峠の合戦
第2弾 戸石城の合戦
第3弾 長森原の合戦
第4弾 三分一原の合戦

まずはどのような戦だったのかというと




天文(てんぶん)13年(1544年)に越後国(えちごのくに)の栃尾城〔現新潟県長岡市(にいがたけん ながおかし)〕で長尾景虎〔のちの上杉謙信〕と中条藤資ら(※)との間に起きた戦いです。
※上記『歴史と旅』には反乱を起こしたのは「中条藤資ら」と書いてありましたが、諸説あります。

越後の梟雄(きょうゆう)長尾為景が天文5年(1536年)の三分一原(さんぶいちはら)の合戦後に病に倒れたあと家督(かとく)を継いだ嫡男(ちゃくなん)晴景は病弱であり、家臣(かしん)たちに、武将(ぶしょう)としての実力を見限られ始めていました。


長尾景虎〔上杉謙信〕の戦いの総括を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
碁石戦略と戦前勝利型戦略―武田・上杉・毛利・長宗我部の戦い方

関連記事:
御館の乱―勝つためにはこだわりをすべて捨てる

関連記事:
七尾城の合戦―明るい未来を描けない組織は内部崩壊を起こす

関連記事:
川中島の合戦―場を俯瞰し、目先の動きに没入しない


そんな中、中条藤資、本庄房長、色部勝長は晴景の命に服さず、それを見て危機感を感じた本庄実乃が晴景に連絡をし、起こった戦いです。

派遣されたのは晴景の弟の景虎、のちの上杉謙信です。当時15歳。

景虎は三条(さんじょう)城に入り本成寺(ほんじょうじ)の寺領を安堵(あんど)し、実乃の守る栃尾城に入り守門(すもん)神社に社領を寄進(きしん)したあと地域の晴景派の武将の協力を得て、攻めてきた藤資らを撃退しました。

これは景虎にとっての初陣(ういじん)であり、この勝利によって越後国内に威容を示した景虎は国内の反対勢力を次々と平らげ、天文17年(1548年)に晴景より守護代(しゅごだい)長尾(ながお)家の家督を継承しました。

で、この戦の戦略についてですが、情報がなさ過ぎてよくわかりません 笑

しかし、わかりませんで終わらせるわけにもいかないので強いて探すとすれば、合戦前に景虎が行った寺社(じしゃ)への安堵・寄進と周辺豪族(ごうぞく)との協力ですかね。

関連記事:
権現山の戦いから学ぶ―弱い者の戦い方

中条氏らも地元の勢力ではありましたが、景虎はあらかじめ他の勢力に通じておくことによって、地元勢力が一挙に反長尾氏方に回るのを防ぎ、中条氏らの勢力が強まるのを防いだと見ることができます。

そして、もうひとつは中条氏らが景虎を若輩者として見くびってかかったことですかね。
流言飛語でも流したのかもしれません。わざと油断させた可能性があります。


関連記事:
村山孚『孫子・呉子』

関連記事:
世の中は「巧遅」よりも「拙速」であるほうが結果が出やすいのに、「巧遅」の方が高級だと思っている人が多い気がする


というわけで景虎の勝因としては、
・周辺勢力を味方につけた外交力
・相手に弱いと思わせて油断させた情報戦略

ということになるでしょうか。
(相手に弱いと思わせながら、他の周辺勢力を味方につけるのって難しいですが、どうやったんでしょうね?)

分析してみると面白いですね!

※写真は長尾晴景の居城春日山城です。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・長尾〔上杉〕 平三〔官職はのち弾正少弼〕 平〔藤原〕 (朝臣) 景虎〔政虎、輝虎。入道謙信〕
ながお〔うえすぎ〕 へいぞう〔官職はのちだんじょうのしょうひつ〕 たいら〔ふじわら〕 の (あそん) かげとら〔まさとら、てるとら。入道けんしん〕
・中条 越前守〔通称は弥三郎〕 平 朝臣 藤資
なかじょう えちぜんのかみ〔通称はやさぶろう〕 たいら の あそん ふじすけ
・長尾 信濃守〔通称は六郎、弾正左衛門尉〕 平 朝臣 為景
ながお しなののかみ〔通称はろくろう、だんじょうさえもんのじょう〕 たいら の あそん ためかげ
・長尾 左衛門尉〔通称は弥六郎〕 平 朝臣 晴景
ながお さえもんのかみ〔通称はろくろう〕 たいら の あそん はるかげ
・本庄 大和守〔通称不明〕 平 朝臣 房長
ほんじょう やまとのかみ〔通称不明〕 たいら の あそん ふさなが
・色部 修理進〔通称は弥三郎〕 平 朝臣 勝長
いろべ しゅりのじょう〔通称はやさぶろう〕 たいら の あそん かつなが
・本庄 美作守〔通称は新左衛門尉?〕 平 朝臣 実乃
ほんじょう みまさかのかみ〔通称はしんざえもんのじょう?〕 たいら の あそん さねより

参考
こにるのお城訪問記
お城散歩
えいきの修学旅行

/
記事を読んでいただき、ありがとうございました!他の記事もぜひご覧下さい!

twitterfacebookでのフォロー、お待ちしてます!


☆「この人の書いてること、ちょっと面白いかも」と思った方はぜひメルマガ登録してみてください!

歴史を学んで、知識をつけるだけではなく「歴史を活かして自分の生きたい人生を歩む」というテーマで、ブログでは語れない話などを書いています。

↓こちらの画像をタップしてください↓


また、メルマガに登録してメルマガに記載されているメールアドレス宛にリクエストを送っていただければ、順次お応えします。

・○○(武将、合戦等)について語ってほしい
・大河ドラマ(『軍師官兵衛』以降)について語ってほしい
・今、○○について悩んでいるが、どの武将を参考にしたらいいか

…等々

ブログと違ってほぼリアルタイム配信なので、会話をしているかのようなコミュニケーションが楽しめます!

登録、お待ちしています!

※メルマガが迷惑メールフォルダや「プロモーション」フォルダに入っている可能性があります。
毎週火曜日に配信しているので、必ずチェックして、迷惑メールフォルダ等に入らないように設定しておいてください。

※予告なく配信をお休みすることがあります。



ブログランキング参加中!
クリックをお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村


歴史ランキング