※こちらの記事は、令和3年6月4日に書かれたものです。
皆さんこんばんは。
今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第9回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。
大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。
【『青天を衝け』の楽しみ方】 | |
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・第1回―渋沢家について | ・第2回―身分秩序について |
・第3回―平岡家について | ・第4回―阿部家について |
・第5回―藤田家について | ・第6回―美賀君の血筋 |
・第7回―井伊家について | ・第8回―岩瀬忠震の出自 |
まずはあらすじ。
あらすじ
安政(あんせい)5年(1858年)、亡き13代将軍・徳川内大臣家定(渡辺大知)の遺言を受け、井伊掃部頭直弼(岸谷五朗)は旧一橋(ひとつばし)派や幕政(ばくせい)批判を行ったものを次々と処罰した。
安政6年(1859年)になり、一橋宰相慶喜(草彅剛)は隠居・謹慎を命ぜられ、父・水戸権中納言斉昭(竹中直人)は水戸(みと)での永蟄居(えいちっきょ)を命ぜられた。
血洗島(ちあらいじま)には江戸(えど)に出ていた尾高長七郎(満島真之介)が戻ってきていた。
長七郎は、渋沢栄一(吉沢亮)らに江戸に吹き荒れる処罰の嵐を語って聞かせた。
長七郎の話を聴いた栄一は、世の中を正さねばならない。正すためには岡部(おかべ)の代官を懲らしめても無駄だ。その元の元、百姓が武士の下だと決めている幕府(ばくふ)を正さねばならないと考えいたる。
一方江戸では、平岡円四郎(堤真一)が隠居・謹慎となった主君・慶喜の下を去ることとなり、別れの挨拶に訪れていた。
円四郎は再び慶喜の家臣となることを誓い、甲府(こうふ)へと旅立った。
幕府では、14代将軍となった紀州宰相慶福こと徳川内大臣家茂(磯村勇斗)が井伊掃部頭の身を案じていた。
内々に、家茂が成長した頃に大老(たいろう)を辞任すると語っていた掃部頭だったが、時代は家茂の成長を待たせてはくれなかった。
掃部頭は水戸浪士(ろうし)たちの襲撃を受け、その命を落とした。
後の世にいう「桜田門外(さくらだもんがい)の変」であった。
その知らせを受けた斉昭は元藩士(はんし)たちの暴挙に頭を悩ますが、自身も直後に冥土へ旅立った。愛する妻の腕の中で。
ということで、
第9回「栄一と桜田門外の変」の感想
めちゃめちゃ面白かったです。
安政の大獄(たいごく)から桜田門外の変に到るまでの過程が比較的丁寧に描かれていて、納得度が高かったです。
というのも、これまで作られてきた幕末(ばくまつ)劇は、重要な出来事が多すぎて一つ一つの事件をあまり丁寧に描けていなかった気がするんですよね。
教科書にマーカーを引きすぎて、結局どれが重要なんだかわからなくなる、みたいなw
しかし今回の『青天を衝け』では、安政の大獄での斉昭と慶喜の無念をしっかりと描き、水戸藩士たちが脱藩して井伊掃部頭を討つことになる動機付けがしっかりと描かれていました。
将軍を扶(たす)け、幕府をよくしていきたい、世をよくしていきたいという情熱をもっていたのに「国許(くにもと)に永蟄居」、つまり「もう二度と江戸に来て政治をするな」という残酷な処分を受け、無念に涙する斉昭。
それを見て、斉昭を想うからこそ、必ずや井伊(いい)を追い落とすと誓う若い藩士たち。
これまで歴史の教科書で桜田門外の変の部分を読むと、「安政の大獄に不満をもった水戸浪士たちが大老・井伊直弼を暗殺した」みたいな記述ばかりで、なぜ「水戸浪士」が襲ったのかはよくわかりませんでした。
元々の「水戸学」の土壌もありますが、斉昭や慶喜が処罰された無念を晴らすため、という動機は「さもありなん」という感じです。
また、平岡円四郎と慶喜のやり取りもよかったですね。
主従の情というよりも「篤(あつ)い友情」という感じで。
もう、書きたいことが多すぎて止まらないので、感想はこの辺でやめておきますw
安政の大獄関連の記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
『西郷どん』、月照になぜヒゲが生えない?!(第17回)
水戸斉昭の登場する記事:
『西郷どん』、恋愛ごっこは地震が治まってからやれ!(第11~12回)
同関連記事:
『西郷どん』第6~10回―「伊集院」家は貴族ではなく薩摩武士です。
第9回の楽しみ方―安政頃の西郷吉之助―
安政頃はまだ幕末の英雄たちが頭角を現す前で、何をやっているのかよくわからない時期ですよね。
『青天を衝け』でも後に、いきなり大物然とした西郷吉之助が登場しますが、この安政頃は何をやっていたのでしょうか?
実は概ね平成30年の大河ドラマ『西郷どん』で描かれた通りなのですが、この辺りは比較的描写が大雑把でよくわかりませんでした。
ということで、ざっと振り返ってみようかと思います。
参考記事:
『西郷どん』、若干減速か?(第13~16回)
薩摩(さつま)藩の下級役人であった吉之助は、安政元年(1854年)に当時の藩主・島津左近衛権中将〔権左中将〕斉彬に書き送った上書(じょうしょ)が認められ、権左中将斉彬とともに江戸に向かい、滞在します。
この頃、斉彬や藤田東湖から教えを受けています。
関連記事:
『青天を衝け』第5回―藤田家について
翌安政2年(1855年)には橋本左内に、さらに翌年安政3年(1856年)には武田耕雲斎に会い、影響を受けています。
この頃には権左中将斉彬の使いとして方々で活動するようになり、水戸権中納言斉昭に会っています。
安政4年(1857年)には松平越前守慶永に権左中将の密書を持参し、安政5年(1858年)、つまり今回の『青天を衝け』で描かれた頃には一橋宰相慶喜を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に擁立するために暗躍しています。
しかし、井伊掃部頭の大老就任を受け薩摩に帰り、水戸権中納言、一橋宰相や松平越前守に下された処分を主君・権左中将斉彬に伝えます。
これを聞いた権左中将は兵を率いて京都(きょうと)へ向かう予定だったと言いますが、急逝(きゅうせい)。
京都に滞在していた吉之助は絶望し、切腹をしようとしますが僧・月照(げっしょう)の説得で思い止まります。
そして月照と、幕府の追手から逃れつつ薩摩へ向かいます。
日向国(ひゅうがのくに)で月照とともに入水(じゅすい)自殺を図りますが、月照は死に、吉之助は生き残ります。
藩は、幕府から追手のかかっている吉之助を死んだものとして扱い、身を隠させるために奄美大島(あまみおおしま)に送ります。
関連記事:
『西郷どん』第18~20回―奄美編、面白いじゃないか!
そして、奄美滞在中に今回『青天を衝け』で描かれた桜田門外の変が起こります。
安政の大獄のあおりを受けて、西郷吉之助隆盛〔隆永〕も雌伏の時を迎えていたんです。
こんな感じで、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
以下もご覧ください!
※トップ画像はイメージです。
○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・征夷大将軍〔将軍家〕 徳川 内大臣〔幼名は政之助〕 源 朝臣 家定〔家祥〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 とくがわ ないだいじん〔幼名はせいのすけ〕 みなもと の あそん いえさだ〔いえさち〕
・井伊 掃部頭〔幼名は鉄之介、鉄三郎〕 藤原 朝臣 直弼
いい かもんのかみ〔幼名はてつのすけ、てつさぶろう〕 ふじわら の あそん なおすけ
・(一橋)徳川〔松平〕 参議〔幼名は七郎麻呂〕 源 朝臣 慶喜〔昭到〕
(ひとつばし)とくがわ〔まつだいら〕 さんぎ〔幼名はしちろうまろ〕 みなもと の あそん よしのぶ〔あきむね〕
・(水戸)徳川 権中納言〔通称は敬三郎〕 源 朝臣 斉昭
(みと)とくがわ ごんのちゅうなごん〔通称はけいさぶろう〕 みなもと の あそん なりあき
・尾高 長七郎 (氏不明) 弘忠
おだか ちょうしちろう (氏不明) ひろただ
・渋沢 栄一〔栄二郎、栄一郎〕 源 美雄
しぶさわ えいいち〔えいじろう、えいいちろう〕 みなもと の よしお
・平岡〔岡本〕 円四郎 源?〔清原?〕 方中
ひらおか〔おかもと〕 えんしろう みなもと?〔きよはら?〕 の けたち
・征夷大将軍〔将軍家〕 (紀州)徳川 内大臣〔参議。通称不明〕 源 朝臣 家茂〔慶福〕
せいいたいしょうぐん〔しょうぐんけ〕 (きしゅう)とくがわ ないだいじん〔さんぎ。通称不明〕 みなもと の あそん いえもち〔よしとみ〕
・西郷 吉之助〔善兵衛、吉兵衛〕 藤原 隆永〔隆盛〕
さいごう きちのすけ〔ぜんべえ、きちべえ〕 ふじわら の たかなが〔たかもり〕
・島津 左近衛権中将〔通称は又三郎〕 惟宗 朝臣 斉彬
しまづ さこんえごんのちゅうじょう〔通称はまたさぶろう〕 これむね の あそん なりあきら
・藤田 虎之助〔虎之介、武次郎、誠之進〕 小野? 彪〔号東湖、梅庵〕
ふじた とらのすけ〔とらのすけ、たけじろう、せいのしん〕 おの? の たけき〔号とうこ、ばいあん〕
・橋本 左内 源 綱紀
はしもと さない みなもと の つなのり
・武田〔跡部〕 伊賀守〔通称は彦九郎〕 源 朝臣 正生〔号耕雲斎〕
たけだ〔あとべ〕 いがのかみ〔通称はひこくろう〕 みなもと の あそん まさなり?〔号こううんさい〕
・松平〔徳川〕 越前守〔幼名は錦之丞〕 源 朝臣 慶永〔号春嶽〕
まつだいら〔とくがわ〕 えちぜんのかみ〔幼名はきんのじょう〕 みなもと の あそん よしなが〔号しゅんがく〕
☆武家の「通称」の普及を切に願います!
参考
ゆーくんはどこ?
ぴえーるのテレビブログ
日本歴史時代作家協会 公式ブログ
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