各合戦の動員人数について(14)瀬沢の合戦 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、平成30年8月19日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの14回目で「瀬沢(せざわ)の合戦」についてです。
『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

今までの記事
第1弾 江古田原沼袋合戦
第2弾 権現山の戦い
第3弾 新井城の戦い
第4弾 第一次国府台の合戦
第5弾 川越城の合戦
第6弾 第二次国府台の合戦
第7弾 ワイアットの乱
第8弾 アルマダの海戦
第9弾 ラヴェンナの戦い
第10弾 チェリニョーラの戦い
第11弾 ホルムズ占領
第12弾 ディーウ沖の海戦
第13弾 上条河原の合戦

というわけで、「瀬沢の合戦」とはどういう戦いだったのかというと、




天文(てんぶん)11年(1542年)に甲斐(かい)信濃(しなの)国境近くの瀬沢(現在の長野県諏訪郡富士見町(すわぐん・ふじみまち)にて、武田晴信〔のちの信玄〕と諏訪頼重・小笠原長時らとの間に起きた戦いです。


武田信玄の登場する記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:
『青天を衝け』第22回―保科俊太郎について

同関連記事:
『青天を衝け』第17回―武田耕雲斎について

同関連記事:
「大きな欲」と「小さな欲」―山岡荘八『徳川家康』第6巻


当時、ようやく甲斐を統一した武田信虎ですが、重臣たちに担がれた嫡子(ちゃくし)晴信により駿河国(するがのくに)に追放されてしまいます。

その様子を見て「甲斐家臣(かしん)団の統一成り難し」と読んだ信濃守護(しゅご)小笠原長時と諏訪の諏訪頼重、北信(ほくしん)の村上義清、木曽(きそ)の木曽義康らが甲斐の国境警備部隊を攻めたことに端を発します。

このままでは信濃勢により甲斐が蹂躙(じゅうりん)されてしまう、と危惧(きぐ)した晴信は手勢を連れて瀬沢に陣取り、油断をして休息中の信濃勢を襲い、退けたという戦いです。

しかし、よく言われている通り、この合戦は同時代史料に記録がなく、のちの『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』が初見であるため、実在が疑われています。


その他の武田信玄の登場する記事:
野田城の合戦―統率力と「イメージ(印象)」の力

同関連記事:
三方ヶ原の合戦―最強の能力「豹変力」

同関連記事:
一言坂の戦い合戦に学ぶ―がむしゃらになれ


さて、このシリーズのテーマである動員人数ですが、上記坂本徳一氏の記事によると
・武田晴信:5,000人
ということになっています。

しかし、下記東信ジャーナルさんによると(孫引きですみません)
・武田晴信:8,000人
となっており、記事中の晴信の推測によると
・信州勢:16,000人
となっております。

そこで、いつものように石高によって動員人数を割り出してみましょう。
(参考:大国・上国・中国・下国一覧大名が動員できる人数は?
・甲斐:22万7,616石→22.7616(万石)×200(人、外征)≒4,500人
・信濃(小笠原・諏訪・木曽・村上の領地は信濃の3分の2と考える。参考:戦国武将勢力地図):40万8,358石→40.8358(万石)×0.66×350(人、内戦)≒約9,400人

ということで、甲斐勢は上記坂本氏の記事に近い数字となり、信濃勢は全然違う数字となりました。

甲斐勢の数字はいいとして、上記「東信ジャーナル」中の信濃勢の数字は単に『甲陽軍鑑』で武田晴信が推測した数字なので、ここでは計算で出た9,400人を採ることとします。

というわけで、結論。

・武田晴信軍:約4,500人
・信濃連合軍:約9,400人

今までの例でみると、まぁそんなものだろうなという数字になりました。
(この戦いそのものの実在が危ういのですが)

きっと、実際こんなものなのでしょうね。

今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・武田 大膳大夫〔通称は太郎〕 源 朝臣 晴信
たけだ だいぜんのだいぶ〔通称はたろう〕 みなもと の あそん はるのぶ
・諏訪 刑部大輔〔通称不明〕 神〔源? 平?〕 朝臣 頼重
すわ ぎょうぶのたゆう〔通称不明〕 みわ〔みなもと? たいら?〕 の あそん よりしげ
・小笠原 信濃守〔大膳大夫。通称は又二郎〕 源 朝臣 長時
おがさわら しなののかみ〔だいぜんのだいぶ。通称はまたじろう〕 みなもと の あそん ながとき
・武田 左京大夫〔通称不明〕 源 朝臣 信虎
たけだ さきょうのだいぶ〔通称不明〕 みなもと の あそん のぶとら
・村上 左近衛少将〔通称不明〕 源 朝臣 義清
むらかみ さこんえのしょうしょう〔通称不明〕 みなもと の あそん よしきよ
・木曽 中務大輔〔通称不明〕 藤原〔源〕 朝臣 義康
きそ なかつかさのたゆう〔通称不明〕 ふじわら〔みなもと〕 の あそん よしやす

参考
歴史散策―真実を求めて―
スーパーカブ中心生活?
天下布ブログ
東信ジャーナル[真田随想録]

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