『麒麟がくる』第17~18回―斎藤家の血族関係と永禄元年までの織田家 | 歴史愛~歴史を学び、実生活を豊かにする~

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「温故知新」とは言いますが、世の中を見渡すと表面的な教訓ばかりでイマイチ実生活に活かすことのできない解説ばかりです。歴史的な出来事を、具体的な行動に置き換えて実生活をより豊かにし、願望を実現する手助けになるように翻訳していきます。


※こちらの記事は、令和2年6月17日に書かれたものです。

皆さんこんばんは。
今回は今年の大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』第17~18回)に関しての楽しみ方を解説したいと思います。

大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない
歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!
※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。

【『麒麟がくる』の楽しみ方】
・第1~2回―当時の三傑と明智家/リアルな戦の描写・第3~4回―美濃の情勢/織田家の状況
・第5~6回―当時の京都の情勢・第7~8回―尾張国内の政治情勢/当時の三河情勢
・第9~10回―土岐一族とは/織田家の血縁関係・第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
・第13~14回―戦国最強の傭兵団/村木砦の戦い・第15~16回―織田一族の関係性/新九郎高政の重臣たち


まずはあらすじ。




第17~18回のあらすじ


斎藤道三(本木雅弘)は大桑(おおが)城を出て、鶴山(つるやま)に布陣(ふじん)した。

それを受けて、長男・新九郎高政(伊藤英明)は長良川(ながらがわ)の対岸に布陣した。

明智十兵衛光秀(長谷川博己)は道三に味方すべく出陣した叔父・兵庫頭光安(西村まさ彦)を追い、道三の陣に向かった。

長良川では新九郎高政が圧倒的な勝利を収め、道三は新九郎高政に一騎打ちを挑み、敗れた。

十兵衛が明智(あけち)城に戻ると、叔父・兵庫頭光安が明智荘(あけちのしょう)を出ろという。

新九郎高政が明智城に軍勢を差し向けたため、戦えば負ける。

落城する前に母・牧(まき)(石川さゆり)や妻・煕子(ひろこ)(木村文乃)、兵庫頭光安の子である左馬助(間宮祥太朗)を連れて出て、明智の血脈を保ってほしいという。

兵庫頭光安より明智家の家督(かとく)を譲りうけ、十兵衛一行は明智荘を出て越前(えちぜん)へ向かった。

越前に到着した十兵衛一行は、伊呂波太夫(いろはだゆう)(尾野真千子)の計らいで守護(しゅご)・朝倉左衛門督義景(ユースケ・サンタマリア)に謁見(えっけん)した。

左衛門督義景に屋敷を与えられ、十兵衛は左馬助とともに近所の子供たちに論語(ろんご)を教えて生計を立てるのであった。

そうこうしているうちに2年の月日が経った永禄(えいろく)元年(1558年)、尾張(おわり)で事件は起こった。

たびたび兄・織田上総介信長(染谷将太)に反旗(はんき)を翻していた織田武蔵守信勝〔信成〕(木村了)は戦で上総介に敗退し、上総介に恭順(きょうじゅん)したかに思えた。

しかし再び反旗を翻した。

信勝の家臣であった柴田権六勝家(安藤政信)の密告によりそのことを知った上総介は信勝を呼び出し、毒殺するのであった。

ということで、




第17回「長良川の対決」の感想


面白かったです!

「長良川の戦い」の切迫した状況もよかったです。

長良川の戦いについてもっと知りたいと思ったら、下記リンクをタップしてください:
長良川の合戦―去り際を美しく

さらに第1~2回の記事の記事で述べたように、陣太鼓(じんだいこ)の様子とか掛け声の様子とか、今までのドラマでやるような「戦(いくさ)」のイメージではなく、歴史学会でとらえられているようなリアルな演出で恐れ入りました。

参考記事:
『麒麟がくる』第1~2回―当時の三傑と明智家、リアルな戦の描写

そして、道三と新九郎高政の最後の掛け合い、よかったですね。

下記ぴえーるさんらもおっしゃっていますが、道三はあながち新九郎が憎くて戦を仕掛けたのではないような描き方でしたね。

新九郎を息子として愛していたけれど、このままでは危ない、と思って、最期に愛息を正そうと思って仕掛けた戦、という想いが行間ににじんでいるような気がして脱帽しました。

山岡荘八氏の文章のようで最高です!笑


関連記事:
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※余談ですが、「長良川の戦い」で先陣(せんじん)を切った竹腰道鎮の子・竹腰正時の正室(せいしつ)はわが一族でありますw




第17回の楽しみ方―斎藤家の血族関係―


このところ、父・斎藤道三と長男・新九郎高政との対立が描かれていましたね。

関連記事:
『麒麟がくる』第15~16回―織田一族の関係性と斎藤新九郎高政の重臣たち

他にも新九郎の弟である孫四郎龍重、喜平次龍定が暗殺されたりと斎藤(さいとう)一族がちらほら登場しております。

ドラマの中では斎藤一族は決してメインではないため、道三・孫四郎・喜平次陣営と新九郎陣営等の斎藤一族の関係性が詳しく描かれていませんでした。

その辺をフォローしたいと思います。

参考:美濃斎藤氏略系図
※クリックで拡大されます。


まずは、斎藤家そのものの出自です。

斎藤家は平安(へいあん)時代に藤原北家(ふじわら・ほっけ)(道長を出した家)の出身である鎮守府将軍藤原利仁が越前に居住し、その子孫が斎藤氏を名乗ったと言われています。

その後、斎藤氏の一部は隣国美濃(みの)に移り、それが美濃斎藤家の始まりとなります。

斎藤氏は室町(むろまち)時代には美濃守護土岐(とき)家に仕え守護代(しゅごだい)となりましたが、分家(ぶんけ)である斎藤妙椿が主家(しゅけ)をしのぐ勢いをつけます。
妙椿は守護代の身でありながら、室町将軍家(しょうぐんけ)に直接仕えるまでに成長します。

その後、養子の妙純〔新四郎利国〕の代になってもこの系統は力をもち、主家断絶等の事情もあって、この系統が守護代を継ぐことになります。

一方の斎藤道三の出自です。

彼の父は京都(きょうと)の油売りだったと言われております。
名は松波庄五郎といいます。

ドラマ中で道三や新九郎高政が油売り、油売りと言っていたのはこの人のことなんですね。

彼は美濃小守護代(こしゅごだい)・長井越中守長弘に仕え頭角を現しますが、この長井越中守、実は斎藤一族なんですね。
上で説明した斎藤妙純利国の子、長井利隆〔斎藤利隆・通称不明〕の子が越中守長弘です。
※異説あり。

松波庄五郎は長井新左衛門尉〔もしくは豊後守〕と名乗り、子の新九郎規秀は利隆の養子となります。
長井越中守の死後(新九郎によって殺害されたという説あり)、新九郎規秀は長井氏の名跡を乗っ取ります。

その後、同じく斎藤妙純の子であり長井利隆の兄であった利親の子・美濃守護代の斎藤大和守利良が死亡します。

そのことにより、力をつけていた新九郎規秀は斎藤氏を名乗り、ここに守護代・斎藤新九郎利政〔のちの山城守、道三〕が誕生するのでした。

参考記事:
『麒麟がくる』第3~4回ー美濃の情勢/織田家の状況

そして、肝心の道三の子供たちですが、なんと新九郎以外の子、すべてが道三側なんですね。

四男の玄蕃利堯や末子の新五郎利治はのち、自ら進んで織田(おだ)家臣となっていますし、新五郎なんかは上総介信長の「長」の字をもらって「長龍」と改名していますからね。

そして、前回ちらっと書いていますが、上記長井越中守の子・長井隼人正道利は新九郎方についています。

同様に前回登場した斎藤内蔵助利三は、実は妙椿の曽孫に当たる人物で、前回述べたように「長良川の戦い」での動静はわかっておりません。


関連記事:
大河ドラマを楽しむ方法(12)(『麒麟がくるまでお待ちください』第2~3回)

関連記事:
『麒麟がくる』第38回―斎藤内蔵助について





第18回「越前へ」の感想


越前の様子なんかどうでもいいんですよ笑
(主人公は十兵衛ですが)

上総介信長と、弟の武蔵守信勝(※)とのやり取りが最高でしたね。
※一時期、「自分が織田弾正忠(だんじょうのちゅう)家の当主である」との意思表示のため「織田弾正忠達成」を名乗っていた信勝ですが、「稲生(いのう)の戦い」で上総介に敗れて以来、ちょっと遠慮して「武蔵守信成」を名乗るようになっていました。だからこのころは本当は「信勝」ではなく「信成」です。

武蔵守信勝の上っ面だけの笑顔を見透かし、本当は殺したくないけど…本当は殺したくないけど…という気持ちを噛み締めた必死の上総介信長の叫び声。

そして泣きながら自らが持ってきた毒入りの水を飲む武蔵守信勝。

今までのこのドラマの中で最高のシーンだったかもしれません。
いや、ここ5年くらいの大河ドラマ中、最高のシーンだったと思います笑

そして、やはり大感動したのは柴田権六!

ちゃんと通称で呼ばれてる!!

僕の願いが通じたのでしょうか?笑

大感動しました!笑

やはり、柴田勝家は「勝家」と呼ばれるより「権六」の方が合ってます!




第18回の楽しみ方―永禄元年までの織田家―


この辺りの織田一族の情勢は目まぐるしく変わります。

前回も織田家の情勢を説明しましたが、この数年でも大きく変わっております。

そのため、ドラマで描かれた永禄元年(1558年)までの、一族それぞれの行く末について説明したいと思います。

↓織田弾正忠家略系図(永禄元年頃)
※クリックで拡大されます。


・弘治(こうじ)元年(1555年)7月 織田右衛門尉信次の家臣(かしん)が、上総介らの弟・喜六郎秀孝を殺害。右衛門尉は逐電(ちくでん)

弾正忠達成は右衛門尉の拠る守山(もりやま)城に軍勢を差し向け、一時・上総介らの別の弟であり、与次郎信康の養子である安房守信時を城主に据える。

→右衛門尉は上総介に許され、守山城主に復帰。

・同年11月 織田孫三郎信光(木下ほうか)死去。

・弘治2年(1556年)4月 長良川の戦い
→伊勢守信安は斎藤新九郎高政と結び、上総介と敵対。

・同年6月 安房守信時、家臣に攻められ切腹。

・同年8月 稲生の戦い。弾正忠達成は敗れ、名を武蔵守信成と改める。
→伊勢守信安は弾正忠達成に味方する。

・同年(月不明) 上総介の兄・三郎五郎信広(佐野泰臣)、斎藤新九郎義龍(高政)と結び上総介への謀反(むほん)を画策するも、失敗。赦免される。

・永禄元年(1558年)11月 武蔵守信成、上総介に謀殺される。

・同年(月不明) 伊勢守信安が嫡子(ちゃくし)・左兵衛信賢に追放される。

・同年(月不明) 浮野(うきの)の戦いで左兵衛〔伊勢守〕信賢は上総介に敗れ、織田伊勢守家〔岩倉(いわくら)織田家〕は滅亡する。

てな感じです。

前回の織田家は、伊勢守信安と弾正忠達成がなんとなく上総介に反感をもちつつも、対立は表面化していませんでした。

しかし、長良川の戦いで斎藤新九郎が道三に勝利したことによって織田家も動揺。

伊勢守信安弾正忠達成も斎藤新九郎に呼応して反上総介に奔(はし)り、なおかつ上総介の兄・三郎五郎信広も反上総介に奔ります。
※松平竹千代と人質交換された、あの信広です。

関連記事:
山岡荘八『徳川家康』第2巻―これぞ徳川家の柱石・三河武士の死にざまだ!!

しかし結局三郎五郎は事前に謀反の計画が発覚したことによって、謀反を未然に防がれてしまいます。

弾正忠達成は稲生の戦いで上総介に敗れた後(武蔵守信成と改名し)、謀殺されます。

伊勢守信安は次男を重用したことにより嫡男(ちゃくなん)・左兵衛信賢に追放され自滅しますし、その左兵衛信賢も上総介に敗れます。

こんな形で徐々に尾張、というか織田一族を統率していった上総介ですが、この後、力強い味方であった下野守信清も上総介に反旗を翻します。

ですが、少しのちの話なのであまり触れずにおきます。

こんな風に、ドラマの背景にある知識が分かるとドラマをもっと楽しめます!

まだまだ説明したいことはたくさんありますが、今回は以上です!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

以下もご覧ください!

※トップ画像はイメージです。

○今回登場した人物のフルネーム(参考:「武家や公家の名前について」)
・斎藤 山城守〔通称は新九郎〕 藤原 朝臣 利政〔道三〕
〔長井 新九郎 藤原〔大江?〕 規秀〔秀龍〕〕
さいとう やましろのかみ〔通称はしんくろう〕 ふじわら の あそん としまさ〔どうさん〕
〔ながい しんくろう ふじわら〔おおえ?〕 の のりひで〔ひでたつ〕〕

・斎藤 新九郎 藤原 高政〔義龍〕
さいとう しんくろう ふじわら の たかまさ〔よしたつ〕
・明智 十兵衛 源 光秀
あけち じゅうべえ みなもと の みつひで
・明智〔柿田〕 兵庫頭〔通称は弥次郎〕 源 朝臣 光安
あけち〔かきだ〕 ひょうごのかみ〔通称はやじろう〕 みなもと の あそん みつやす
・明智〔三宅〕 左馬助〔通称は弥平次?〕 源 朝臣 秀満
あけち〔みやけ〕 さまのすけ〔通称はやへいじ?〕 みなもと の あそん ひでみつ
・朝倉 左衛門督〔通称は孫次郎〕 日下部 朝臣 義景
あさくら さえもんのかみ〔通称はまごじろう〕 くさかべ の あそん よしかげ
・織田 上総介〔通称は三郎〕 平〔藤原、忌部〕 朝臣 信長
おだ かずさのすけ〔通称はさぶろう〕 たいら〔ふじわら、いんべ〕 の あそん のぶなが
・織田 武蔵守〔弾正忠。通称は勘十郎〕 藤原〔忌部〕 信成〔達成・信勝・信行〕
おだ むさしのかみ〔だんじょうのちゅう。通称はかんじゅうろう〕 ふじわら〔いんべ〕 の のぶなり〔みちなり・のぶかつ・のぶゆき〕
・柴田 権六〔権六郎〕 源 勝家
しばた ごんろく〔ごんろくろう〕 みなもと の かついえ
・竹腰 (官職・通称不明) 源 (諱不明)〔道鎮〕
たけごし (官職・通称不明) みなもと の (諱不明)〔どうちん〕
・竹腰 (官職・通称不明) 源 正時
たけごし (官職・通称不明) みなもと の まさとき
・斎藤 孫四郎 藤原 龍重
さいとう まごしろう ふじわら の たつしげ
・斎藤 喜平次 藤原 龍定
さいとう きへいじ ふじわら の たつさだ
・鎮守府将軍〔通称不明〕 藤原 朝臣 利仁
ちんじゅふしょうぐん〔通称不明〕 ふじわら の あそん としひと
・斎藤 (官職・通称不明) 藤原 朝臣 (諱不明)〔妙椿〕
さいとう (官職・通称不明) ふじわら の あそん (諱不明)〔みょうちん〕
・斎藤 右馬丞〔通称は新四郎〕 藤原 朝臣 利国〔妙純〕
さいとう うまのじょう〔通称はしんしろう〕 ふじわら の あそん としくに〔みょうじゅん〕
・松波 庄五郎 藤原 (諱不明)
〔西村 勘九郎 (氏不明) 正利〕
〔長井 豊後守〔通称は新左衛門尉〕 藤原〔大江?〕 朝臣 (諱不明)〕
まつなみ しょうごろう ふじわら の (諱不明)
〔にしむら かんくろう (氏不明) まさとし〕
〔ながい ぶんごのかみ〔通称はしんざえもんのじょう〕 ふじわら〔おおえ?〕 の あそん (諱不明)〕

・長井 越中守〔通称は藤左衛門尉〕 藤原〔大江?〕 朝臣 長弘
ながい えっちゅうのかみ〔通称はとうざえもんのじょう〕 ふじわら〔おおえ?〕 の あそん ながひろ
・長井〔斎藤〕 (官職・通称不明) 藤原〔大江?〕 朝臣 利隆
ながい〔さいとう〕 (官職・通称不明) ふじわら〔おおえ?〕 の あそん としたか
・斎藤 大和守〔通称は新四郎〕 藤原 朝臣 利良
さいとう やまとのかみ〔通称はしんしろう〕 ふじわら の あそん としなが
・織田 右衛門尉〔通称は孫十郎〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信次
おだ うえもんのじょう〔通称はまごじゅうろう〕 ふじわら〔いんべ〕 の あそん のぶつぐ
・織田 喜六郎 藤原〔忌部〕 秀孝
おだ きろくろう ふじわら〔いんべ〕 の ひでたか
・織田 与次郎 藤原〔忌部〕 信康
おだ よじろう ふじわら〔いんべ〕 の のぶやす
・織田 安房守〔通称は喜六郎〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信時
おだ あわのかみ〔通称はきろくろう〕 ふじわら〔いんべ〕 の あそん のぶとき
・織田 孫三郎 藤原〔忌部〕 信光
おだ まごさぶろう ふじわら〔いんべ〕 の のぶみつ
・織田 伊勢守〔通称は三郎、七郎兵衛尉〕 藤原〔忌部〕 朝臣 信安
おだ いせのかみ〔通称はさぶろう、しちろうひょうえのじょう〕 ふじわら〔いんべ〕 の あそん のぶやす
・織田 三郎五郎 藤原〔忌部〕 信広
おだ さぶろうごろう ふじわら〔いんべ〕 の のぶひろ
・織田 伊勢守〔通称は左兵衛〕 藤原〔忌部〕 信賢
おだ いせのかみ〔通称はさひょうえ〕 ふじわら〔いんべ〕 の のぶかた
・織田 下野守〔通称は十郎左衛門〕 藤原〔忌部〕 信清
おだ しもつけのかみ〔通称はじゅうろうざえもん〕 ふじわら〔いんべ〕 の のぶきよ
☆武家の「通称」の普及を切に願います!

参考
第17回
ゆーくんはどこ?
長良川観光ホテル 石金ブログ
ぴえーるのテレビブログ
第18回
今日は何の日?徒然日記
京都暮らし*ときどき古典*
『西郷どん』以来のご紹介です!
坂の上のサインボード

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