愛を求める人々 韓国での記憶 ③ | トロントのお散歩

トロントのお散歩

カナダ・トロント在住、キリスト教会の牧師が、普段のトロントでの生活や、考えていることを書き綴ります。

私のオフィスで一人の日本人女性が泣き続けていた。

 

 

彼女は韓国人の夫と、すでに高校生や大学生になった韓国籍の子供たちが4人いた。

 

 

普通に聞けば、ごくありふれた韓国人男性と日本人女性の国際結婚をした夫婦である。

 

 

しかし、彼女は統一教会(世界平和統一家族連合)の信徒であった。

 

 

日本で大学時代、信者同士の温かな交わりに感化されて入信し、文鮮明を盲信することによって、教団が選んだ男性と結婚したのであった。

 

 

しかし、段々とインターネットで情報を得るようになり、自分が騙されていたことに気づき始める。

 

 

(17,8年前のソウルの様子)

 

 

私が韓国にいた十八年ほど前には、統一教会の結婚式で韓国に住んでいた多くの日本人女性たちが現実を知るようになっていた。

 

 

彼女の韓国人の夫は当時、ソウルにある統一教会機関紙である世界日報で働いていたと記憶している。

 

 

経済的には問題はなかったであろうが、彼女は日本の家族と縁を切って日本を飛び出して韓国にやってきたのである。

 

 

そのような中で両親の死に目にも会えず、最後まで親に心配をかけ、親不孝者であったことを泣き悲しんでいた。

 

 

すでに子供が四人おり、もちろん彼らを愛し大切に思っているが、自分の人生が統一教会によってメチャクチャにされたということを誰かに話したかったのだろう。

 

 

彼女は三日間、毎日私のオフィスに来て四時間程、ずっとこれまでのことや今の気持ちを語っては泣き続けていた。

 

 

その後、メールやブログでのやり取りはあったが、それ以降は彼女がどうなったかは知ることはなかった。

 

 

彼女の心の底に押し込められ、隠されてきた痛み、悲嘆の思いを出せて少しでも楽になってくれたならと思う。

 

 

(漢江の自転車道と私)

 

 

他にも、知り合いの韓国人牧師から、結婚したばかりの統一教会の韓国人男性と日本人女性の離婚手続きの手伝いをしたことを聞いたことがある。

 

 

その牧師曰く、本来であれば牧師が離婚の世話をすることはあってはならないが、その大卒の日本人女性は、中学校しか卒業していない田舎の貧しい韓国人男性と結婚生活を送るのは耐えられないと頼ってきたので手伝ったそうだ。

 

 

当時韓国では、誰でも日本人女性と結婚できるからと、統一教会への入信を宣伝していたらしい。

 

 

実は、そのような日本人女性とは、韓国にいる間に何人も知り合う機会があった。

 

 

すでに韓国で家庭を持ち、子供を授かった人は日本に帰ることは難しいが、それでも統一教会の交わりには入らなくなった人たちが多かった。

 

 

その女性たちの多くは、異国の地で与えられた子供たちと共に、前を向いてもう一度人生を歩む道を選ばれたのだと思う。

 

 

(ソウル市を流れる漢江。来韓して4年ほどで、ソウルの少し南に引っ越して、この道を自転車で職場まで通うようになった)

 

 

このような宗教団体による活動は赦されるものではないが、実際には韓国であろうが、日本であろうが、そんな宗教団体に入っていなくても、幸せとは到底呼べない境界線上で生活しておられる人々は多い。

 

 

家庭内暴力やいじめ、職場でのハラスメント、あるいは騙されて酷い状況に陥っている人々、貧困の中で苦しんでいる人々は数知れない。

 

 

悲しみと苦しみのどん底にいる人々にとって必要なのは、上からのアドバイスではなく、その傷ついた心にそっと寄り添ってくれる人である。

 

 

私たちは、隣人に対してどのように彼らと接しているだろうか。

 

 

人は、愛されたようにしか愛せないという。

 

 

私たちに必要なのは、まず十分に愛されることからではないだろうか。

 

 

それは、大切な人からの愛かもしれないし、神様からの愛かもしれない。

 

 

あなたはそのような愛に触れたことがあるだろうか。

 

 

あなたもあの女性のように、心の奥底の蓋を取り除き、隠れた感情を出すことが必要かもしれない。

 

 

『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう』マタイ 11章28節

 

 

あなたが本当の愛と平安を得ることを心から願う。

 

 

 

 

 

それではまた次のお散歩の時に。

Until our paths cross again!