「チムジルバンと韓国のおじいちゃん」 | トロントのお散歩

トロントのお散歩

カナダ・トロント在住、キリスト教会の牧師が、普段のトロントでの生活や、考えていることを書き綴ります。

先日の休みの日に、トロントにあるチムジルバン(韓国式スパ)に初めて行ってきた。



韓国にいた頃はよく行っていたが、トロントでは、この8年間行く機会が一度もなかった。

 

男性のロッカーの左側には、風呂、サウナ、垢すりなどがある。

 



ここは、男女兼用のゆったりスペースと、簡単な食事ができる所だ。

 

キンパブを食べようかと思ったが、岩盤浴の時には食事は避けた方が良いと考え、シッケ(コメを使用した冷たくて甘い飲み物)だけにした。

 

久しぶりのシッケは懐かしい味で美味しかった。



下の写真は岩塩の床の部屋だ。個人的にはこれが好きかも。

 

久しぶりのオンドル(床暖房)体験は快適であり、体の芯から温められた。

子供たちも連れて行ったが、さすがに小さい頃に行った韓国のチムジルバンのことは覚えていなかったようだ。

でも息子2人は、色々な種類の岩盤浴の部屋に入って楽しんでいた。



 

韓国に住んでいた家のオンドルのボイラーが「リンナイ」だったので「日本製があるんですね」と韓国の人に聞いたら、韓国ではリンナイ製のボイラーがトップシェアだと聞いて驚いた記憶がある。

日本と韓国は歴史問題で色々と軋轢があるが、韓国発のオンドルと日本製のリンナイは上手く付き合っているようだ。

韓国で知り合った日本人外交官の方が、「韓国で色々な場所に呼ばれて話す時は、その話の内容にとても気をつけています」とおっしゃっておられたが、私のような者でさえ、話す時には常に気をつけていた記憶がある。

韓国の方々がおられる場で、敏感な話題に触れてしまい、その噂が広がって、仕事ができなくなった私の知り合いもいたのである。

私が韓国に行ったのは、18年くらい前であった。

私と妻は、宣教師として赴任する前に、韓国ソウルのある大学で一年近く韓国語を学ぶ機会が与えられた。

ある時、私が学んでいた大学の正門近くで、80代以上のご老人の方々が20人ほど集まっておられた。

彼らは、記念写真を撮るところだったらしく、偶々そこを通りかかった私を呼び止めて、写真を撮って欲しいとお願いされた。

だが、私は写真を撮る時、韓国定番の合図である「キムチー!」ではなく、間違って日本式の「チーズ!」と言ってしまったのだ。

その瞬間、田舎から出てきたらしいおじいちゃんやおばあちゃんたちが、一斉に日本語で話しかけてこられたのだ。

「あなたは日本人なのですか?」と。

その頃の80代、90代の年配の方々は、戦前の日本の教育を受けて来られたので、日本語が達者であり、母語話者だと間違えることも多いほどだった。

撮影の後、80代後半の男性にカメラをお返しし、自分が日本の牧師であり、ここで韓国語を学んでいるんですと伝えたら、突然このおじいちゃんが謝ってこられたのである。

「どうか、若い者たちをゆるしてやって欲しい。彼らは本当のことを知らないのだ。昔、私の知っていた日本人たちは皆いい人たちで、彼らには本当にお世話になったのに。申し訳ない…」

彼らと話した時、日本と韓国の歴史認識の違いが、韓国人の世代間にも大きな影響を及ぼしていることを知った。

彼ら年配の方たちは、自分たちは社会の一線を退き、もう若い人たちに何を言っても聞いてもらえないのだと言う。

こんなことを書くと、彼らよりも若い韓国の世代の人たちに怒られるかもしれない。

しかし、その韓国のおじいちゃんが言われたことが歴史的に真実かどうかはともかくとして、この方にとっては真実であったことは間違いない。

通常、外国の方と話すときには、戦争と宗教、そして歴史についての話題はタブーだということは理解している。

 

歴史は勝者が紡いでいくものだ。

アメリカに戦争で負けた日本が、いくら言っても何の変化もないかもしれない。

だが悲しいかな、人は信じたいものを信じ、相手を非難して、自分を正当化することで満足しようとする生き物だ。

互いにどこまで行っても平行線を辿り、いつまでたっても非難の応酬と報復の繰り返しとなる。

一つの民族が辿ってきた苦難の道のりを、他の国の人々が理解するのはとても難しい。

アメリカが原爆投下の非を認めることが難しいのも同様なことではなかろうか。

しかし勿論、正しいと思われる時は、相手から批判されようとも伝えるべきである。



ところで、日本人は聖書にある「罪人」という言葉に過剰反応する場合が多いと聞く。

「私が罪人だって?自分はそんな悪いことをしていない!」と。

周囲にどう思われるかを気にしているような、村社会、相互監視社会だからかもしれない。

しかし聖書には、すべての人が平等であるという1つの真実が書かれている。


「そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており…」ローマ3章22,23節


人は、自分が過ちの多い存在であることを忘れやすい。

アラブの諺でも次のような有名な言葉がある。

「人が他人を非難し、相手を指差す時、5本の指のうち3本は自分の方を向いている。」

冬のような寒さの、凍てついた心で相手を否定、非難するのではなく、チムジルバンで皆が温まるように、一緒に心も体も温められ、偏見や憎しみの心が溶かされ、癒されたら良いのにと思う。

次は、妻と2人だけで来て、夫婦関係も心から温かくしたいなと思った。

皆さんも是非、この気持ち良さを体験してみては如何だろうか。

 

それではまた次のお散歩の時に!

 

Till our paths cross again!