愛を求める人々 韓国での記憶 ① | トロントのお散歩

トロントのお散歩

カナダ・トロント在住、キリスト教会の牧師が、普段のトロントでの生活や、考えていることを書き綴ります。

私が牧師として出会った多くの人は、本物の愛を求めていた。

 

世の中で聞かれる邦楽や洋楽の90%以上は、愛についての歌である。

 

誰もが、真実の、裏切ることのない愛を求めている。

 

だが、多くの人は、そのような愛を見つけることは難しいのかもしれない。

 

もう、だいぶん前のことだが、私が韓国で宣教師として働いていた頃、ソウルの江南(カンナム)という所に住んでいた。

 

 

数年間、教会が運営する語学学校で牧師として働いていたのだが、日本語を教えることは日本語教師たちがしており、私は日本語の聖書のクラスを教えていた。

 

この日本語の聖書クラスは無料で、フリートーキングの形で行われていた。

 

そこには個性的な常連の人たちがおられたが、特に印象深かった方が数人ほど在籍していた。

 

例えば、韓国の大手財閥の上層部におられ、ニュースでも見たことのある良く名前を知られた方。彼は韓国の闇について色々と教えてくれた。

 

また、韓国社会でも有名な敏腕弁護士で、テレビにも出演するような男性がいたが、彼はいつも話題が豊富な人だった。

 

あるいは、Kポップチャートで一位を取ったことのある元人気グループの女性歌手など、色々面白い人たちがいたのである。

 

韓国は儒教の国であり、上下関係は明確に区切られている。

 

最初に会った時のあいさつが、「あなたは何年生まれですか?」という、世界の常識に喧嘩を売っているような質問なのだ。

 

これは、韓国の兵役も関係していると思われるが、日本から来た若い牧師である私には、皆が個人的に色々な話をしてくれた。

 

彼らは、外国人である私とは話しやすかったのだろう。また、日本語で話すことも影響していたのだと思う。

 

その中の1人、ソウル大学を優秀な成績で卒業し、検事として働いた後、弁護士として活躍していた男性がいた。

 

その方は、私よりも何歳か年上の方であった。ネット上で彼の名前と顔を見ることも良くあった。

 

そんな彼は、定期的に運転手付きの黒塗りの高級車に乗って、忙しい仕事の合間に颯爽と私の聖書クラスに出席していたのだ。

 

まさに、できる男といった格好の良い人だった。

 

そんな彼がしばらく姿を見せなくなった。

 

その頃、同僚の日本語教師がネット記事を見せてくれた。

 

あの弁護士が韓国の芸能人と結婚したというのだ。

 

しばらくして、幸せそうな彼がクラスに戻ってきた。

 

だが、数か月した頃だろうか、また彼が来なくなった。

 

仕事が忙しいのだろうくらいしか思わなかったが、また同僚がネット記事を見るように言ってきたのだ。

 

そこには、あの弁護士の男性が奥さんと離婚したという記事が掲載されていた。

 

それからまた数か月が過ぎようとしていた頃、私は語学学校で定期的に行われていた、キリスト教の講演会で話をしていた。

 

それは3日間ほど続いたと記憶しているが、その最終日に、あの弁護士が姿を現わした。

 

彼は講演会を最後まで聞いて、皆がいなくなった後、私のところに近づいてきた。

 

彼は一言だけ、絞り出すように私に問いかけた。

 

先生、本当の愛というのは、どうしたら見つけられるのでしょうか?」と。

 

彼にとっては、2回目の結婚だったそうだ。

 

ようやく本当の愛を見つけられたと喜んでいたのだ。

 

その時、私がどう彼に答えたのかは覚えていない。

 

ただ、2人でしばらく黙って、教会堂の長椅子に座っていたことを覚えている。

 

 

 

私の好きな聖書の言葉の一つに、次のような言葉がある。

 

『主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。』へブル人への手紙 13章5節

 

イエスは、例えあなたがどのような状況にあろうとも、「わたしはあなたの側を離れることはない」と約束された。

 

これは、私が苦しく辛い時に支えてくれた聖書の言葉の一つである。

 

 

 

人の心は定かでなく、間違いも多く、移ろい易い。

 

彼のような社会的に成功をおさめ、地位も名誉も財産もすべて持つ人には、色々な人が近づいて来るだろう。

 

彼は真実の愛を見つけられたのだろうか。

 

私は、寒々とした冬のソウルを思い出しながら、窓の外に広がる、小雪の舞うトロントの街を眺めていた。