金曜日の午後、私は一人でトロントからオシャワに向かって、ハイウェイ401を東に向かって車を走らせていた。
下の息子たち2人の期末試験が終わり、1週間ほどの休みに入ったため、彼らを迎えに行ったのだ。
本来は、牧師たるもの、何といっても週末が一番忙しい。
それは、週に1度の礼拝の準備があるので、いつもは脇目もふらずに礼拝の準備をしているのだ。
私の教会は日曜日ではなく、土曜日に礼拝があるので、金曜日は一瞬たりとも無駄にできない日となる。
しかしその日、妻は仕事が入っていたので、私が子供たちを迎えに行かなければならなかった。
いつも、金曜日の夜から土曜日の明け方まで、売れない漫画家か、小説家のように締め切りに追われている私にとって、今週は前日の木曜日の夜半まで一所懸命、祈りつつ説教を書くしかなかった。
それもこれも、愛する子供たちのためである。
親は皆そうであろうが、正直言って我が子たちはとても可愛い。
もうすでに高校生であり、思春期真っ盛りで、親に対してそっけない態度をとっていたとしても、それでも我が子は可愛いものである。
私も妻も、できるだけ自分たちが子供たちを愛していることを、言葉や態度にして表そうとしている。
親としての威厳など、気にしないのである。
これまでの学びと経験から、愛情表現が子供たちにとって、彼らの成長のため、必要不可欠な心の栄養素になることを、痛みと失敗の中で学んできたからである。
彼らが元気に生きてくれているだけで、何も言うことはない。
感謝である。
私たちの子供として生まれてきて「ありがとう!」と言いたい。
たとえ「ウザい!」と娘や息子たちから煙たがられようと、一向に構わないのである。
子供たちが学んでいる学校は、Kingsway Collegeという高校で、クリスチャンスクールであり、寄宿学校である。
本当は、"College" という名称は「大学」を指すのだが、この学校の歴史の中で過去に看護学校があったため、この名前が残ったようだ。
開校122年の歴史を誇る、伝統ある高校である。
写真の真ん中にある、年季の入ったレンガの建物が男子寮である。
実は、私もこの学校で一年だけ学んだことがある。今から36年ほど前、私が10代だった頃である。
人種が混じっていても、いじめがなく、みな優しく、神を信じているということにカルチャーショックを覚えたことを昨日のように覚えている。
今は、留学生も増え、色々とあるようだが、私の中ではあの時期は、光輝く青春の一ページである。
まぁ、それでも寮生活は人間関係が難しい。
文化も言葉も違う若者たちが集まって来る。
でも、若い頃の苦労は買ってでもしろというから、私も子供たちも良い経験をつめたのではないかと思う。
『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる』
箴言27章17節
子供たちが健康に育っていき、モルティカルチャーであるカナダの社会に出るまで、しっかり研がれ、準備をしてもらえればと思う。
そんなことを考えながら、子供たちと車の中で楽しく話しをすることができた。
そうして、トロントに戻ってくる時、Costcoに行って子供たちのために大量の食糧を買ってしまい、妻に注意されたのは仕方のないことなのである。
