暑い暑いというだけでなくして、日常をやり過ごすに精一杯といった感じの昨今、ぼんやりとした不安が漂う…てな言い方では芥川龍之介まがいになってしまいますが、ともあれ漠然とした不安を感じることの「漠然」の正体を財政学者が考えたみたという一冊が『令和ファシズム論——極端へと逃走するこの国で』でありました。

 

 

タイトルからイメージするのは、令和の今、現代型のファシズムが現にあって…てなふうにも思うところながら、そういうことを言っているのでは必ずしもないのですよね。第二次大戦前夜から戦中にかけてファシズムの嵐が吹き荒れたとは、もはや歴史の一ページになってしまったかもですが、嵐のもととなったドイツや日本で、当時の財政政策がどのようなものであって、そこから生ずる世相が現在と似通うとこrもあるてな話かと。

 

詳しくは本書にあたっていただくとしまして、というのも財政学の知見がありませんとなかなかについていきにくい話であって、もちろんそうしたバックグラウンドを持たない者のひとりとしては読むのに些か難儀をしたものですから、ちと丸投げで(苦笑)。

 

ただ、印象に残ったことのひとつとして、著者が財政学者であるからなのか、程度問題という側面はあるにもせよ、国民が税を納めることで国家財政が成り立っていることを前提に、税による歳入によって国が何をするかということこそ、肝心要であるとは言っておりますな。裏返せば、単にばらまき返すためだけに税収があるわけではないと、前向きな視点から考えておるようなのは、やはり財政学者だからなのでありましょうか。

 

そんなときにふと思い出すのはちょいと前にEテレで放送された『真相の館』なる番組で「税の真相」を扱った回ですな。税とはすなわち(国民の側から見れば、国に対して)「託すもの」であると説明してましたっけ(余談ながら、個人的にはこの番組で取り上げる題材によっては解説スタンスに違和感を抱いたりもするのですが、それはともかく…)。

 

 改めて「託す(託する)」という言葉をデジタル大辞泉にあたってみますと「 自分がなすべきことを他の人に頼む。まかせる」といのが第一義に出てきますですね。ここには頼む側、まかせる側に能動性のあることが窺え、決して強制されたり押し付けられたりした結果、頼む、まかせるではないと想像されるわけで、それが本来的なのでありましょう。

 

さりながら、税金に関してはどうもそういうニュアンスで受け止められることはあまりないような。曰く「税金をとられる」、「いついつまでに納めなければならない」、さらには「できることならたくさん返してほしい」といった具合かと。ま、最後のひと言になりますと、返してしまって国ができなくなったことは自己責任で対処してもらうことになりますからねと、覚悟すべきというのが財政学的な理屈ともなりましょうか。

 

ではありながら、それでも税金に対してネガティブな印象、あるいはともすると減税減税と求めてしまう感覚があるのは、政治というか、税金の使い方にどうも得心のいかなさといったものが付きまとうからでもあるような。先のTV番組では(そんな感覚を抱くようなことにならないように)ちゃんと税の使い方、ひいては政治に国民(納税者)としてコミットすることにも触れてはいましたですね。ですが…。

 

かつて歌手の、というよりも反戦運動家のジョーン・バエズは米国の連邦所得税のうち軍事費に充当される分の納税を拒否するといったことがあったようですけれど、同じようなことを考えたくもなる日本の昨今事情であろうかと。

 

本書の帯にもどれば「シンプルで極端な主張をSNSで繰り広げ、人びとを煽り立てる〈身近な指導者たち〉」という記載が見えますけれど、これが〇ランプ大統領のことばかりとは言っておられず、もっともっと身近なところの話であるとは、それこそ「ぼんやりとした不安」を抱いてしまうことでもあろうかと思ったりしておりますですよ…。