静岡県富士市の広見公園をぶらぶらしているお話ですが、「ふるさと村歴史ゾーン」という一角に差し掛かったのでありまして。
看板の後ろには大きな萱葺きの家が見えておりますように、さながら古民家園と思うところですけれど、ここの特徴は置かれた建物(建造物)の時代幅が広いことになりましょうかね。静岡県観光情報『ハローナビしずおか』HPの紹介にはこのようにあります。
園内には市内にあった古建築物や遺跡が集められた「ふるさと村」があり、寺子屋だった原泉舎、江戸末期の樋代官長屋門、明治の木造洋館眺峰館、江戸時代の武家屋敷旧松永邸、横沢古墳や竪穴住居など、貴重な遺産が一堂に会しています。
なんとまあ、古墳時代から明治時代までとは!よくも集めたものであるな…と思うところながら、古墳は元々あったものでないの?とも。歩を進めるごとにさまざまな建物が登場するわけですが、ここでは時代順に再構成してみるとしましょうか。まずは横沢古墳です。
傍らの解説板によれば、古墳時代後期(6世紀後半)につくられた「横穴式石室を有する円墳」(墳丘直径16m)ということで、副葬品があれこれ出ていることから被葬者はあたりの有力者と考えられておるそうな。石室規模は市内最大ということですが、実際の場所は今では西富士道路になっていて、やっぱり石室も含めて移築しただそうでありますよ。
石室を覆う天井の岩などを見ても、移築はなんともご苦労様な話でありますねえ。せっかくですから、石室を覗いておくことにしますか。
お次は「奈良時代から平安時代初頭期(八~九世紀)の大集落」跡という東平遺跡(ひがしだいらいせき)で発見された遺構から復原したという高床倉庫と竪穴住居ということで。
こうした見た目の建物の場合、素人目には弥生時代なのか古墳時代なのか、はたまたそれ以降なのか、区別のつきにくいところではありますが、それなりに立派な構えであることは窺がえますですね。屋内スペースも結構広めになっていますし、奥に設けられたかまども少々手が込んでいるような。
…本住居では上屋を支えた柱の痕跡が認められず、それ以前の縄文・弥生時代の住居とは異なる上屋構造が検討され、炭化材の出土状況や全国の近年の発掘事例に基づく復原がなされました。
かような解説を目にしますと、「ああ、竪穴住居ね」とぼんやり見やるばかりでは申し訳の無い時代考証がなされておることに気付かされるのでありますよ。
そんな気付きの目をもってこの先の時代の建物を振り返ってまいりたいところですが、この後に時代は一気に江戸期まで飛ぶことになりますので、そちらはちと日を改めてということに。






