車山高原を歩いてきた帰り、ふいとJR中央本線・茅野駅に隣接する施設内で「小津安二郎・野田高梧・蓼科の映画人」を紹介するコーナー展示に遭遇したことでもありますので、この機にまた小津安映画を一本ということに。

 

蓼科高原で(野田高梧とともに)手掛けた脚本は最晩年の作品群で、カラー作品が出てくる頃ですな。カラーの小津映画は見た記憶がないことでもあり、この際は遺作となった最後の作品『秋刀魚の味』を見てみることにしたのでありますよ。

 

 

「松竹映画100年の100選」サイトによりますと(ということは、100年の歴史から選んだ100本のひとつに入っていると)、あらすじならぬ「おすすめコメント」として、こんな紹介がありましたな。

デリカシーがなくノーテンキな父・兄・弟。 適齢期の娘が嫁ぐ迄の周囲のお節介を描いた軽妙洒脱な物語! 戦後、アメリカの真似ばかりする日本! それでも「負けてよかったじゃないか」と微笑む笠智衆。 遺作に込めた名匠小津の想いとは?

小津安の映画は海外でも高く評価されたりしていて、ともすると名声先走り感があることからも文芸大作でもあるかと思われたりするわけですが、基本的には「面白うてやがて哀しき」といった風情。これがじみじみとしてくるところに味があるのではなかろうかと。

 

そんな中でも、先のコメントはコメディ路線であることを些か強調しすぎかとは思いますが、ユーモアとしてちりばめられたところは1962年に公開された時期の世相が、良くも悪くも濃厚にあるもので、笑ってばかりもいられない。むしろ考えてしまう…てな面も。

 

ですが、父と娘の関わりといったあたりは普遍的な要素があるのでしょうなあ。岩下志麻演じる娘の嫁ぎ先を心配する父親を笠智衆が演ずるとなりますと、本作から十数年前に撮られた『晩春』を思い出したりしますですが、娘役の原節子に対してその頃から笠智衆は老父役であったとは、当人の年齢にかかわらず毎度毎度老父の役をやっていたとは、こりゃ大したものでありましょうね。

 

で、モノクロ画面で笠智衆と原節子が少なめな言葉を交わす『晩春』に比べると、やはり戦後の十数年は時代の代わりが早いようだとも。こういってはなんですが、原節子の醸す時代感覚が実際の時の流れについていけなくなってきたのかもしれません。その点、岩下は(その当時としても)とてもモダンな印象がありますですね。

 

そうはいっても、結局のところ父の進めるまま、父の友人の紹介で見合いした相手に嫁いでいくのですけれどね。父親の方は妻を亡くして、てきぱきする娘が家事を取り仕切ってくれることをもやは日常と考えてしまっていたことを、友人が持ち込んだ縁談話から「これではいけん!」と結婚推進派になるも、いざ出ていってしまうと、寂しくて悲しくて…。

 

登場人物たちの立場は全くことなりますけれど、かぐや姫の歌った『妹』の状況を思い出したりもしたものです。そう考えると、小津安が『秋刀魚の味』を作ったのが1962年で、かぐや姫の『妹』が1974年。戦後の立ち上がりに著しい世相の変化はあったものの、家族の状況は60年代、70年代にあまり変わっていなかったのかも…と思ったりしたものでありましたよ。

 


 

てなふうに、家族の関係に思いを馳せたところで(と言って娘も妹もおりませんが)、ちと両親のところへ行って実際の家族関係を見直してこようかと(とはこじつけか)。要するに毎度父親の通院介助がありますので、明日(10/7)はお休みを頂戴いたしまして、明後日(10/8)にまた。ではでは。