こういってはなんですけれど、「絵に描いたような」いい話でしたなあ。ユニセフが参画しているからでもありましょうね。『丘の上の本屋さん』というイタリア映画でありました。
イタリアの風光明媚な丘陵地帯を見下ろす丘の上の小さな古書店。店主リベロは、ある日、店の外で本を眺める移民の少年エシエンに声を掛け、好奇心旺盛なエシエンを気に入ってコミックから長編大作まで次々と店の本を貸し与えていく。リベロが語る読書の素晴らしさに熱心に耳を傾けるエシエン。感想を語り合ううちに、いつしか2人は友情で結ばれていく…。
本作公式HPのストーリー紹介に頼れば、こんな感じのお話ですな。とっかかりは漫画ですけれど、どうやら活字ばかりの本をも厭わず興味を示すエシエンは、将来の本好き候補生。今はただ貸すばかりながら、将来的には店の常連さんになってくれるのでは…なんつう商売っ気は一切無しの店主リベロなのでありましたよ。
だいたい古書店の店主というのは、店をして自らのブックワールドを展開していて、いわばその世界に浸っているところもある。商売ではあるも、たくさん売るということ、たくさん稼ぐということとは、ちと次元の異なる世界にいる人たちなようにも思えるところです。昨年読んだ鹿島茂『パリの本屋さん』を思い出したりもしますですねえ。
ともすると「偏屈な人なんじゃね…」と思ったりするも、本作では「訪れる風変りな客たちを温かく迎え入れるリベロの店は街のちょっとしたオアシス的な存在でもある」(公式HP)と、善良なる人らしさ全開なのですな。そんな店先でリベロに出会ったエシエンは幸運以外のなにものでもなろうかと。
本を貸してくれるだけでも親切といえましょうに、次々に貸し与える本は段階的に読書の楽しみを培うであろうと同時に、子どもながらいろいろなことを考える示唆が籠っているですから。エシエンにとってリベロは単に親切なおじさんというのみならず、メンターとも言える存在ではなかろうかと。それも、互いがそういう関係だといったことを意識せずにやりとりしているのが、実に微笑ましいわけで。
ちょいと前に立ち寄った「JICA地球ひろば」の展示では、紛争やテロ、貧困に苛まれる子供たちには食糧はもちろん、教育も行き届かないようすが解説されていたわけですが、教育の点でいえば高邁な考えに基づくカリキュラムを実践する「学校」という形が仮に無くとも、エシエンに対するリベロのようなメンターがいて、過去の知の蓄積である書物があれば、人間としての思考はかなり育まれることになるような気がしたものです。
もちろん、最先端の科学分野にまで至る教授がなされるわけではないという点で公平さを欠くとしても、少なくとも長い歴史の中で人間が積み重ねて来た叡智を吸収していけるのではなかろうかと。
おそらくは小学校4~5年生かなというくらいのエシエンに対して、課題と言っては大袈裟ですが、「次にはこれを読むといい」と言ってリベロが渡す本は、相手が子供だからという容赦はないのですな。ただ、分からなくても良いとして、考えることを促す。無い者ねだりを承知で言えば、こういう教師と巡り合った子供の将来はとてもとても楽しみではありませんか。
ユニセフと言えば、「なんだかやたらに募金を募っておるようであるな…」という印象でもあり、現実にそれだけ何等かの支援を必要とする子供たちいるのも事実でしょうけれど、募金で集まったお金の使いみちはどんなふうになっておりましょうかね。ちと気になってきましたですよ。広告費や人件費に結構かかっているでしょうねえ…。