誰が決めたか?往年の三大傑作マンガという括りがあるようで。人それぞれの思い浮かぶところはまちまちでしょうけれど、たましん美術館の解説にあった「往年の三大傑作マンガ」をそのまま、すぐさま思い浮かべる方はかなり減っているのではなかろうかと。何しろ、一にのらくろ、二に冒険ダン吉、三にタンク・タンクローであるとは。個人的に絵が浮かぶのはのらくろしかありません。

 

ということで、名前だけは知っていたものの、「はたしてどんなキャラクターなんだろうかいね」と出かけてみたのが、東京・立川にありますたましん美術館で開催中の「生誕130年 阪本牙城 タンク・タンクロー展」なのでありました。

 

 

五日市の出身ということで多摩ゆかりの作家・阪本牙城が1934年(昭和9年)、講談社刊『幼年倶楽部』に連載を開始、大好評を博したのが『タンク・タンクロー』であったということですが、大きな砲弾のような球形の体つきなのでしたか。イメージではてっきりタンク(戦車)に乗った主人公かと思いましたが、いわばロボットの類であるようで。

 

それだけに「日本SF漫画の元祖」とも言われるようですが、どんなところがSFであるとか申しますれば、フライヤーに曰く、かようなことであると…。

丸い鉄球の胴体に、8つの丸い窓。その窓から刀やピストル、大砲、翼などを出して自由に飛び回り、ワルモノをやっつけるタンクローは、スーパーヒーローとして戦前の子どもたちに絶大な人気を誇りました。

そりゃあ、何でも自由自在に強力アイテムを繰り出すとなれば、子どもたちにはさぞ人気となりましょうけれど、SF的にはそこにほとんど理屈はありませんですね。後世の子どもたちがドラえもんに夢中になったような感覚でありましょうかね。ドラえもんもおよそSFとまでは言われませんし。

 

余談ながら、フライヤーの右上の吹き出しに「ゆかい、つうかい、おもしろい!」とあるキャッチは、ドラえもん同様、藤子不二雄が生み出した『怪物くん』の主題歌に出てきた「愉快、痛快、奇々怪々」を思い出させたりも。年代的に藤子の二人はタンク・タンクローを幼少期に読んでいた可能性はありそうですけれど、はて…。

 

ところで、当然のことながらキャラクター設定には、時代感というものが大きく反映しておりますなあ。フライヤーを見ても分かりますが、タンクローは頭にちょんまげを乗せているという。取り出すアイテムも敵を倒すためとはいえ、なんとも戦時色を感じさせるものではなかろうかと。昭和初期の世相が偲ばれますですね。

 

そんなタンクロー、戦前の人気が高かっただけに戦後にも再登場することになります。これまた時局を反映してか、ちょんまげはシルクハットの中に隠して描かれるようになり、元々手には日本刀を持っていたところがステッキに代えられて。GHQによってチャンバラバラバラの時代劇映画が禁止されたりしましたから、作者として当然の処置とも言えましょうけれど、実際には作者自身の心境の変化もあったようで。

 

 

それは、作者自身が戦時下の満洲に赴いて、「奉仕隊漫画現地報告」なる記事を「満洲新聞」に掲載する役割を担ったりする中、戦争というものをつぶさに見て、感じるところも多かったのであろうと。1946年に再度タンクローは世に登場するものの、1952年に作られた最終話では、宿敵黒カブトに対してタンクローがかけた最後の言葉が「いのちをムダにするな」であったとは。

 

 

さらに作品として実を結ぶことはなかったにせよ、1953年頃に想を練っていた案には「原爆を研究する光だ博士による、世界中の原爆を消す大発明」が盛り込まれていたそうな。残されたノートのスケッチで分かるそうなのでありますよ。

 

でもって、戦後は取り分け水墨画を描いていたようで。水墨画は満洲からの帰国時から描き始めたとなれば、やはり何かしら思うところありとは考えてしまいますですねえ。