先日、映画『オーケストラの少女』を見たところで指揮者レオポルド・ストコフスキーに触れましたですが、新しいメディア指向のある?ストコフスキーだけに、他にもディズニー映画の『ファンタジア』に、あたかもシルエット・クイズのような姿で登場していたのは知っていたものの、もうひとつ、『カーネギー・ホール』なる映画にも出演していたようで。せっかくですので、これも見てみることにしたのでありますよ。ああ
ああご存じのとおり、カーネギー・ホールはニューヨーク・マンハッタンにある音楽ホールですけれど、アメリカ金めっきの時代に巨万の富を築いて鉄鋼王と言われたアンドリュー・カーネギーが建てたのでしたですね。
鉄鋼業で儲けた資金でコンサートホールを造るとは、東京の日本製鉄紀尾井ホールの如しとは思うところながら、規模が全く異なっておりますなあ。ですが、カーネギーが立ち上げた鉄鋼会社を淵源のひとつするUSスチールが日本製鉄に買収されるてなことになっているのは、世の移り変わりの故でもありましょうか。完全に余談ですが…。
ところで、カーネギー・ホールのこけら落としは1891年、何と!晩年のチャイコフスキーを招聘して自作の指揮で幕を開けたのであるとか。何だか俄然、由緒感が漂ってきたような。で、映画のお話はこの公演当日、移民船でアイルランドから到着したばかりの少女ノラが縁あって演奏を耳にし、音楽の、というかカーネギー・ホールのというか、その虜になってしまうという発端で。
長じてカーネギー・ホールで清掃業務に勤しむようになったノラはピアニストと恋に落ち、一粒種のトニーをもうけるや、トニーがいつしかカーネギー・ホールの大舞台でコンサートを開く姿をひたすら思い浮かべ、音楽教育を施すことになっていくのですな。このあたりだけを見ると、いやはやなんとも、叶わなかった自らの夢を息子に押し付けるかのようでもあり、過干渉な教育ママ以外の何者でもないようであったり。
あるときまではいい子いい子でピアノに向かうトニーも、ジャズなどの刺激的な音楽に取り巻かれたニューヨークにあって、自らの道を見出すように。当然に肯んじえないノラとは疎遠になって…。
ま、最後の最後に思わぬトニーの凱旋公演となって(ここでストコフスキーが実にいい役まわり)めでたしめでたしとなるとは、さほど驚くにあたらない展開で、話としてはそれなりとも言えようかと。
さりながらこの映画の価値?は、1947の映画製作当時、カーネギー・ホールを舞台に活躍していたクラシック演奏家、いわば往年の巨匠たちの姿をしっかり、たっぷり収めているところではなかろうかと思うのですよね。個人的には、ブルーノ・ワルターがマイスタージンガー前奏曲を振っているあたりで、「おお!」と乗り出してしまいそうに。
指揮者のワルターやチェロのピアティゴルスキーはもっぱら演奏を記録的に収めたというふうなのですが、中にはセリフ持ちで出演している演奏家たちもいろいろと。ストコフスキーがいい例ですけれど、その他にも、ピアノのアルトゥール・ルービンシュタインやヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ、指揮者のフリッツ・ライナーとか。
取り分け、謹厳実直そうな容貌がともすると猛禽類を思わせるフリッツ・ライナーまでがセリフを語っておる(少ないですが)あたり、印象がちと変わるといいましょうか。一方で、ルービンシュタインとハイフェッツはそのセリフが映画の筋とも大きく関わる、つまりは役者やってる感があったものまた新鮮で。
思うに、(『オーケストラの少女』のところでもちと触れたことながら)アメリカでの成功に秘訣のひとつなのでもあるかな、メディア露出を厭わぬ姿というかキャラクターは。返す返すもフルトヴェングラーには難しいことのように思え、やっぱりドイツにいるべくしていたのであるかとも。
てなことで、往年の巨匠たちの思わぬ側面を垣間見るかのような映像が見られる映画『カーネギー・ホール』、ある意味で貴重な作品なのかもと思ったものでありましたよ。