このところアート系の展覧会に行けておらず、少々渇きを感じてきたものですから、手っ取り早く自転車圏内にあるムサビ(武蔵野美術大学)の美術館を訪ねることに。3つの展示室に分けて「絵画と彫刻をめぐる抽象表現」、「平面を超える絵画」、そして「絵画を語る-見方を語る」という展覧会が開催されておりましたですよ。

 

いちばん興味深かったのは「絵画と彫刻をめぐる抽象表現」でありまして、タイトルからすると何やら難しそうな気がしてくるところながら、手垢がついていない(とは不穏当かもですが)現代アートなだけに自由に見ればいいのだ…という思いを新たにしながら、頭を捻って楽しむ瞬間でありました。

 

特に造形作品(彫刻というには彫ってないものでして)が目を引くものでしたですが、ともするとガラクタアート的な素材でもってシンプルに構成されているものの、それだけに反って見る側の想像を刺激するといいますか。

 

直接的に「ああ、あれね」と思わせる具象性からはちと離れてはいますけれど、「サインのある街」という作品などはマンハッタンのビル群の谷底に紛れ込んだ異邦人を思い浮かべてしまうところかと。

 

無機質な高層ビルは薄っぺらな銅板で奥行き無く示されていると思えば、実際にそこで賑々しく行われているであろうエネルギッシュな経済活動も廃墟の中にいるような心持ちにとらわれるのとさして変わらないてな気にもある。

 

そんな中に配された方向指示板のようなサインは少々大きめで存在感を出すも、果たしてそれは見上げる人にとって未来への道しるべになっているのかどうか…。

 

2本並んで佇立する銅板が今は無くなったワールドトレードセンターのツインタワーを思わせたところからニューヨーク、マンハッタンを想起しましたですが、巨大都市にはどこにでも通ずるものなのではないかと思いましたですよ。

 

他には保田春彦の「壁と屋根と窓と(2)」という作品も面白かったですねえ。文字、数字、記号といったような知覚要素をほぼ真四角の箱型にぎゅっと凝縮したふうでもあって、その知覚要素的なものは部分的にしか表面化してないですが、掘ればざくざく出てきそうな予感も。ある種、寄木細工のからくり箱を思い出したりもするところです。

 

も一つ、最上壽之作品はちと別の観点で「ほお」と。基本的に角材をその形状のまま使っていますので、どうしたって角々した外形なのですが、不思議と曲線が想像できてしまうのですな。そのことにばかり思いを致した関係で「セイジャノコウシン ボクガイル」という思わせぶりな?タイトルの方にまで関連付けが及びませんでしたが。

 

絵画作品で一つだけピックアップするならば、村井正誠「黒い記憶」でしょうなあ。「抽象絵画の草分けの一人」とWikipediaに紹介されている作家ですけれど、タイトルどおりに真っ黒に塗り込められて、表面には不規則な凹凸があるという作品はともすると一見して「なんだ、まっくろけ」と片付けられてしまおうかと。

 

ですが、以前アンフォルメル展でみたスーラージュの黒にただの黒とは片付けられないものを見たこともあり、同じことがここでも感じられたのでありますよ。「黒は黒じゃない」と。

 

多分に錯覚でもあろうかと思いますが、黒はいろんな色を混ぜると出来上がるようにいろんな色の要素を含んでいるわけで、これを闇の中でじいっと目を凝らす感じで見やりますと「黒じゃない…」と思えてくるわけですなあ。光の当たり方などでも違った見方ができましょう。

 

と、作品画像が無い中では何のことやら?かもしれませんけれど、美術館であれこれ頭を捻りつつ作品を眺めることの楽しさは感じていただけたのではと。