以前NHKで放送していた「世界ふれあい街歩き」という番組を、CS放送「旅チャンネル」で再放送してまして、たまに見るのですけれど、土地土地の、観光案内的な番組では見られない側面を知ることができたりしますですね。
で、このほど見たのは「ブルックリン編」でありました。マンハッタンからイーストリバーを隔てた向こう側のエリアに当たりますが、ランドマークとも言うべきブルックリン・ブリッジを渡って行くのでなくして、フェリーでブルックリンに乗りつけるあたり、この番組らしいところかなとも。
数々の映画に背景としても現われるブルックリン・ブリッジを、個人的には一度は渡ってやろうと思っていたものですから、ロウアーマンハッタンのキャナル・ストリートにある自転車屋で借り出した自転車で渡りに行きましたですよ。
渡りきった後にはすぐお隣のマンハッタン・ブリッジを通って戻ってきましたけれど、こちらの橋はお隣ではありながら、眺望的にも環境的にも全くお薦めできませんですね。やっぱり渡るならブルックリン・ブリッジでありますよ。
…と思い出話はともかくも、番組でのブルックリンの街歩きでは街角であったりお店を覗いたりしながら地元の人たちに話しかけたりするわけですが、その中で「ほお~」と思いましたのが、ひとつはガレージなのでして。ガレージといっても自動車修理工場の意の方ですが。
車には疎い方ですので、ちと印象になりますけれど「アメ車」という言い方があって、それは単にアメリカ製の自動車というに留まらない具体性を帯びているやに思います。
以前、ロサンゼルスに行ったときにLACMA(ロサンゼルス郡美術館)の開館待ちで近くにあったペーターセン自動車博物館というのを覗いたときに、オールディーズの雰囲気を湛えた所謂「アメ車」がごろごろ置いてあって、アメリカの老若男女が食い入るように眺め回していたところを見れば、「アメ車」のステイタスと人気は健在なのだなと思うところでありました。
そんなアメ車なればこそ、とことんぴかぴかに磨きこんで大事に使い、万一不具合でも生じようなら信頼の置けるガレージに持ち込んで修理してもらい、末永く使っていく…てなことになるのでしょう。ちとモノとしては特殊かもですが、ともかくここには長く使う姿勢が現われておるなと映し出されたガレージの前に停められたアメ車を目にして思ったわけです。
そして、似て非なるところやもながら、番組の中でのもうひとつの「ほお~」はなんとまあ冷蔵庫修理工場だったのでありますよ。建物の中にも外にも、見るからに年代ものと思しき冷蔵庫がたくさん置かれている。これを修理するのを仕事にしているようで。
見たところ、電気製品の修理業というでなく、冷蔵庫専門であるようす。果たしてそれで生業が立つのかと思うところですが、何とかなってるのでしょう。それだけ再利用する、つまりは末永く使うというのが、ここにも見てとれるという。
まあ、これはブルックリンに特別なことではなくって、アメリカではそうなのだろうと類推するところでありますけれど、資本主義の尖兵であればこそ大量消費社会の権化とも思っていたアメリカにはこうした側面もあるのですなあ。
もっとも車を大事に使うのと冷蔵庫を大事に使うのとでは顧客層が異なって、中古冷蔵庫が商売になるのはリサイクル的な観点以上に格差社会の反映でもあるのではと思うところですけれど。
ですが、こと冷蔵庫に関して言えば、廃棄されそうなものを修理して、安く提供する点だけを見れば、所得の少ない人たちには有難いということになるような気がするものの、新しい冷蔵庫は電力消費量が少ないてなあたりで改良されているところからすると、結果的に所得の少ない人たちは多額の電気代を払わねばならないことになるのかも。これはこれで変な話だなあ…と。
と、ここまで考えが及んだときにアメ車の方に立ち返りますと、アメリカにだって排ガス規制のようなものがあるとすれば、古い車を長く使うといっても、そうした規制には適合させていかねばならん。となると、とにかく動くようにしておくだけの話ではないのでしょうし、費用の面でもかなり大変なことになりそうな。
てなことを思ってみれば、捨てずに修理しながら使い切ることが、モノによってはとても高く付く、あるいは贅沢な選択であるてなことにもなろうかと。どうも買い替えによって消費を促す方向性に導かれているような気がして、どこかしらおかしなところがありませんですかねえ。と、ブルックリンの街角の映像を眺めつつ考えるひとときではありました。