東京・京橋のLIXILギャラリーで開催中の「文字の博覧会」を見てきたのでありますよ。人は実にいろんなものをコレクションの対象として集めまくったりしますけれど、「文字」をコレクションにする方というのもおられるのですなあ。
なんでも「未知なる文字への探究心から25年の間に100を超える国々を旅して3,000点近くの文字資料を収集」したという方のコレクション。「すでに使われなくなった文字も含めて300ほど」と考えられているらしい文字の種類、そのうち95種類を個人で集めたというのですから、大変なものではなかろうかと。
そうしたコレクションの中から、中東・欧州文字文化圏、インド・東南アジア文字文化圏、漢字文化圏にコーナーを分けて、様々な資料が展示されていたのですが、まずもって面白いなと思いましたのは、言語と文字とは必ずしも同じ文化圏を構成しないということでしょうか。
言語の方では、広くインド・ヨーロッパ語族などという言い方がありますけれど、言語的に同根と思しきものであっても、使用する文字は全く違って、一方に中東・欧州文字文化圏があり、一方にインド・東南アジア文字文化圏があると。
もそっと身近な例で言いますと、中国語と日本語とでは言語的には近くないわけですが、漢字という文字文化を共有(日本が輸入したのですけれど)していますし。このことは以前読んだ本の受け売りにもなりますが、そもそも文字は話し言葉(言語)を写し取るためにできているのではないこととも関係しておりましょうね。
会場に「少しずつ形を変えながらも、古代文字が現在まで使われているのは漢字だけ」と解説されていたように古い形を残す「漢字」は表意文字、つまりひと文字ひと文字に意味を持つ文字として誕生したわけですけれど、話し言葉の中には必ずしも意味を持たない「音」のような言葉もあるわけですね。
漢字誕生の経緯とは別に、文字が言葉を写し取るものとしての役割が認識されますと、そうした「音」のような言葉を書き表すために表意文字らしからぬ、つまりは漢字の誕生背景にも悖る文字を生み出していくことになったりしたわけです。
こんなふうに文字は話し言葉を写し取る際に、使う側の使い勝手に応じた変化させることができる、使い手の言葉の都合に合わせることができる記号と考えるととても柔軟なような気が。
日本に入ってきた当初、万葉仮名といういかにも借り物的な用法でしたですが、やがて使い勝手の関係もあり、ひらがなが生みだされ、やがてカタカナも…という変化を通じて根付いてきたのですしょうから。
言葉の伝播から遅れて始まった文字の伝播は、遅れた時間差(時代差)分だけ伝播経路が異なって、そのプロセスが大きく関わって今のような言語と文字の関係ができていったということでしょうか。
ところで、その文字の伝わるプロセスにはいろいろな要素が介在しておるのだなと思いましたのは、展示にあったミャンマーの文字に関するところでありまして。
先の区分けでインド・東南アジア文字文化圏とありましたように、ミャンマーの文字はインド発ということになりますが、ヒンディー語の文字と比べてミャンマーの文字はどうにもまるまっちいではないかと。これはミャンマーで文字の書かれる媒体として使用されたのが植物の葉などであって、直線を多用すると裂けてしまうという、現実的な問題に向き合う中でまるまっちくなっていったのだとか。面白いものですなあ。
古代インド発祥という点ではブラーフミー文字の一種が、仏教と共に日本に伝わって梵字と呼ばれていたりもしますですが、これは言語を写すということとは違う話でありますね。
とまれ、こうした展示を見ながらふと思うところは、言語と文字が明確な緊密性をもっているものではないと考えた場合に明治の文明開化にあたってでしょうか、日本語もローマ字表記にしたらどうかてな
議論があったやに聞き及びますが、無理からぬ話でもあるような。乱暴に言えば、どのみち文字は借り物なのだしと。
ですが、1500年ほどを掛けて日本語の親和性を高めてきた漢字かな混じり文は豊かな文化を創造してきたことでもありますし、早々替えがきくものでもありますまい。元が借り物だとしても。