もはや真夏か?!という天気の中、読売日本交響楽団の演奏会を聴きにいったところ、メインプロがストラヴィンスキーの「火の鳥」でありました。
もっとも、曲の長さ的には間に置かれたベートーヴェンの「皇帝」の方がメインとも考えられますけれど、最後の最後で大盛り上がりするところからして「火の鳥」。誰がどうやっても、と言っては読響に失礼ながら、やはり熱い演奏でありましたですよ。
で、この「火の鳥」とひとつ前に演奏されたベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」は、いずれも本来はバレエ音楽なのですなあ。バレエの公演を直に見たのはこれまでに「白鳥の湖」全幕を一度だけですので、あまりああだこうだは言えないところながら、バレエにも流行りすたりがあるのだろうと。
ベートーヴェンの方は「振付の詳細は失われてしまった」と今回公演のプログラムノートに紹介されてましたが、同じ紹介文にはこのようにも。
〈プロメテウスの創造物〉はかなりの成功を収めたといっていいだろう。1801年の初演から翌年までの間に、ウィーンで20回以上も上演されている。
初演当時はともかく、その後はすっかり忘れ去られたわけですが、これはやっぱり音楽のせいでもありましょうね。
先にバレエの流行りすたりと言いましたですが、ベートーヴェンが書いたような曲で踊られていたのとはバレエも変わっていった。つまりベートーヴェンの曲そのものがどうのというより、バレエに合わせるにはちと合わなくなってしまったと言いましょうか。
およそバレエを見たこともないのにそんなふうな考えにたどり着きましたのはたまたまにもせよ、しばらく前にNHKで放送された「バレエの饗宴」なる番組を見ていたからでもありまして。
NHKで日曜の夜に「クラシック音楽館」なる番組の時間枠で、てっきりN響公演だか何かのオーケストラコンサートが放送されているものと思い、録画しておいたのを後から見てみたら実はバレエであった…という怪我の功名。バレエに馴染みがないので、しばし見ようかどうしようか迷ったですが。
結果的には「バレエにはかようなものもあるか」と遅まきながら知るところとなり、本来的にバレエのために作られた曲でばかり踊っているわけではないのだなと。
もちろん今でも元からバレエのために作曲された曲でもって演じられることはままありましょうけれど、そうしたオリジナルの新曲が次々出てくるわけでもないとすると、既存の曲を使って独自の表現世界を示すてな方向に向かうのはむべなるかな。放送の中でもシュニトケの音楽でシェイクスピアの「オセロ」の世界を表出する試みがあったりしましたし。
そうした側面があるのであれば、埋もれてしまっている「プロメテウスの創造物」を蘇演してみるなんつうことも遣り甲斐はあるものと思うところながら、その「甲斐」とはおそらく歴史的な意義といったものであって、バレエ公演としての魅力ではおそらくないような気がしないでもない。素人がそんなふうに思うのですから、バレエ関係者であれば尚のことでもあろうかと。
普段は序曲だけが演奏されるのが関の山である「プロメテウスの創造物」ですけれど、バレエとしてはどうよ?というふうでもありますが、今回、序曲、第5曲(アダージョ)、そして終曲を聴いて思ったところは、劇附随音楽として使うことにして「プロメテウスの創造物」を再構成してはどうかいなということ。
一度だけ全編にメンデルスゾーンの曲を散りばめた「夏の夜の夢」の演劇公演を見たですが、かなり面白かったなあと思いましたので…と、バレエの話からずれて来ましたので、この辺で。