今シーズンのMETライブ、余すところ3作のみとなったところでようやっと見に行くことができたのでして。演目はマダム・バタフライ、「蝶々夫人」でありました(一般には上映終了ですが、東銀座の東劇ではまだやってる)。
実のところ、当初の思惑としては「蝶々夫人」を見に行こうとは全く考えておらなかったという。何となれば、日本を舞台にした話であるも、恐らくはへんてこな日本情緒らしきもので飾られ、違和感を抱きっぱなしになるのでは…と思い込んでいたものですから。
もう何十年か前になりますですが、近所の図書館でLPレコード(当時は、です)の貸し出しをしてまして、「何を借りよっかなぁ」とジャケットを次々と見やるうちに出くわしたのが歌劇「蝶々夫人」全曲のボックスセット。少々食指が動いたものの、止めてしまったその理由はジャケットカバーの印象なのでありまして。明らかに外人の容貌に日本髪と着物…これがなんとも「う~む…」だったもので。
思い出す限りにおいてはマゼールの指揮した全曲盤で、蝶々夫人に扮したソプラノのレナータ・スコットの写真がカバーを飾ったいたように思いますけれど、後から思えばまだましの部類だったようで、他の録音では「もはやおてもやん?!」状態のもあるようですし。
そんなわけで「蝶々夫人」には近付かぬままに幾星霜であったところが、このほどはMETライブ今シーズン用の3回券を購入しておきながらも、これまでの上映のたびに都合がつかなかったり、風邪を引いたり、はたまたひざ痛がでたり…と見送りまくった結果、残りの上映は3公演のみ。違和感抱くも覚悟の上で、選択の余地なく「蝶々夫人」に出かけることに…とまあ、そういうわけなのでありますよ。
で、果たして行ったみたらばどうだったのか…ということになりますけれど、「いいじゃん、これ!」と。メロディーメーカーたるプッチーニの面目躍如でもあろうかと。
もちろん長崎が舞台で、舞台で日本の娘とアメリカ海軍士官との話ですから、しばしば日本のメロディーが使われ、折に触れて米国国歌のメロディーも流れてくるという唐突なところはあるにしても、よくまあ消化しているのでないのと思ったわけで。
と、ここまでのところで予て歌劇「蝶々夫人」を敬遠する中ではオペラとして演じられる視覚的なところはもとより、その音楽さえまともに聴いたことがなかったことをお気付きなろうかと。
それだけに今回はプッチーニの音楽を「ほお~!」と思うことになったわけで、その音楽の方向からは間違いなく「蝶々夫人」の認識を改めたと言っていい。ですが、それでもやっぱり「蝶々夫人」は悩ましいのでありますよ。
好評価を得ているという映画監督アンソニー・ミンゲラによる演出は、実にファンタジックなものとなっているわけですが、それでもやっぱり日本まがいになってしまうという点で。
ですから、最後に折り合いをつける手段として悟りを開いた?ところとしては、「日本のようなところではあるけれど、日本ではないどこかの架空の世界」を舞台に繰り広げられる物語なのだという整理。こう割り切ることで悩ましさを払いのけ、「蝶々夫人」に入っていける。思いがけずもそうした契機を作ってくれたMETライブなのでありました。