暑い最中に熱い演奏。読響の演奏会@東京オペラシティコンサートホールを聴いてきたのですな。メイン・プロはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」だったものでありまして。
第1楽楽章の後半(通常の交響曲の第2楽章に相当?)に、じわ~っとパイプオルガンの低い響きがホールを満たすあたり、振動を肌感覚で受け止めるように、オルガンが体感する楽器であると改めて思った次第ですけれど、同行の友人もあの音、というよりあの響きは「家では聴けんのだよなあ」と。
よほど作りこんだマイ・リスニング・ルームと超弩級オーディオ・システムを組んだお宅ならばいざ知らず、ごくごく普通の民家に置かれた再生装置では、あの低い響きを体感することは不可能といってもいいですしね。もそっと感じたいとばかり、下手に音量を上げたりすれば結局のところ全体の音が馬鹿でかくなって近所迷惑になるのが関の山なわけで。
という具合に、毎度のことながらコンサートホールで触れる演奏に「これだあね」などと思いつつかえってきたわけですが、この先はその後のこと。ひと息ついた後に、朝方に録画しておいたTV朝日『題名のない音楽会』を見ていましたら、なんとまあ、サラ・ブライトマンが登場したではありませんか!
ひと頃、さまざまな歌い手が現れてにぎわった「クラシカル・クロスオーバー」なるジャンルの立役者でもありますですねえ。ミュージカル・ナンバーを始め、代表曲は多々ありましょうけれど、分けてもメガヒットを記録した『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』(元はアンドレア・ボチェッリの持ち歌とは言わずもがな…)はじんわりと刺激が体中に染み渡るような曲ではなかろうかと。実際、この番組の公開録画の客席では、ブライトマンがこの曲を歌うと涙ぐんでいる方の姿が映し出されたりもして。
サラ・ブライトマンの日本公演は一度だけ聴いたことがあります(おそらくは2004年の日本武道館だったような)けれど、こう言ってはなんですが、そのライブの印象よりも番組内で聴かせてくれた歌声の方がよりじわっとくる感があったのには驚かされましたですよ(個人の感想ですが)。
それにしても、最初は「まだいたんだ…」てなふうに思ってしまったものの、直に聴いたときからでも20年余りが経過しながら衰えないどころか、それ以上の情感に溢れたパフォーマンスに接して、本当にびっくりしたものです。大したものですなあ。
ということで、昼間は読響の演奏を聴いて「ライブに優るもの無し」と思っていたわけながら、夜になってサラ・ブライトマンの歌声に「ライブでなくとも伝わるものは伝わる」と、音楽の形態は異なるにもせよ、そんな思いを抱いたものでありましたよ。
番組中、客席で涙ぐんでおられた方、個人的にもおそらくは40年くらい前になりましょうか、ジャズシンガー笈田敏夫がスタンダード曲『マイウェイ』を歌ったライブに接し、何故とも知れず涙が溢れてきたことを思い起こし、「うんうん、そういうことってあるよねえ、何とは言えないけれど頭の中では走馬灯ぐるぐるの状態でしょう」と声をかけたくなったものなのでありました。