…ということで5年半ぶりの海外渡航から帰ってきたわけですけれど、成田の空港利用もやっぱり2019年4月のロシア行き以来になりますので、なんだか久しぶり感が強く湧き起りまして…。5年も経てば顔認証やらなにやらと様子が変わっていることはたくさんありますけれど、懐かしさ感と共に思い出すのはもっともっと昔のことでしたなあ…。

 

成田利用の場合は立川駅からリムジンバスで行くというらくちん移動に頼っていたものの、コロナ禍を経て立川-成田間の路線は無くなってしまい、電車で行くことにしたわけですが、京成成田駅では成田空港行というのと芝山千代田行というのが枝分かれしている。空港に向かうには成田空港行を利用するのが今や当然ながら、かつてはそうでなかったなあ…てなことも思い出すわけです。

 

1991年3月に空港直下まで鉄路が伸びて、成田空港駅、空港第2ビル駅ができるまでは、今の芝山千代田に向かう途中に終点・成田空港駅(現在の東成田駅)があって、こちらこそが空港の玄関口だったわけで。

 

ついでながら、1978年の開港以来、その名称は新東京国際空港、通称成田空港だったはずですが、今ではその名で呼ばれること(呼ばれていたことも含めて)は忘れ去られていようかと。2004年に空港公団が民営化された折、成田国際空港の名乗りを正式名称としたようですし、元から成田、成田と言われてましたものねえ。

 

ところで、かつての成田空港駅を利用されていた方には思い当たるものと思いますが、この駅は空港の玄関口とはいえ、ターミナル直下までは乗り入れていなかったのですよね。なんとなれば、空港建設反対運動が開港後も続いており、下車後に乗り換える連絡バスが検問所を通っていくというものものしさが漂っておりましたっけ。

 

そのあたり、1991年の新線開通時もまだ似たような状況は続いていたのでして、今回下車した空港第2ビル駅でも改札口を抜けるとすぐに、かつて検問(パスポートチェック)が行われてカウンターが残されておりますな。今となっては、通行の邪魔としか思えない代物になってしまっておりますが。

 

と、ここでさらりと空港第2ビルなどと言ってしまうのも、昔話としては端折りすぎでしょうかね。1992年12月までは成田に第2ターミナルは無かったのですし。つまり、それまでターミナルは一つだけで、そこに北ウイングと南ウイングがあったのは呼称としては今も変わらないながら、建物の構造は大きく様変わりしてしまっておりますね。かりそめにも中森明菜の『北ウイング』で思い起こすのならば、昔懐かしいターミナルの姿を偲ぶべきところでしょうか。

 

とまあ、歳が歳なだけに昔、昔とばかり言ってますが、出発ロビーにたどり着けばその先、チェックインは機械、バゲージドロップも自動化、顔認証で出国審査ゲートを通り抜け、飛行機へと乗り込むことに。

 

この辺の対応は、近年加速度的に進んだものでありましょうけれど、そうした加速度度合いに付いて行きにくくなってきているお年頃でもあろうかと。クアラルンプール国際空港に到着後には、30年ほどぶりという浦島太郎状態が待ち受けておりましたですよ。いやはやなんとも…。