今から30年前の1995年1月17日、その日は仕事の関係で名古屋へ、その後に大阪へと出張に出かける日でした。出がけにTVのニュースも見ることのないままにたどり着いた東京駅で初めて、大きな災いが生じたと知ることになりました。

 

東海道新幹線は完全に止まっており、最初は「これでは出張先へ向かえない…」とだけ。名古屋の支店に電話をすると、「関西で大きな地震があって、名古屋もかなり揺れた。大阪支店とは連絡が取れない…」と聞かされて、当然に出張は取り止めに。

 

例えに出すのが『不適切にもほどがある!』かどうかはともあれ、かのドラマの中では東京から神戸に行って震災に遭遇する登場人物が描かれていましたけれど、もしも出張が前日の1月16日に設定されていたら、朝から新幹線で名古屋へ行き、ひと仕事終えて大阪へ移動、その晩は大阪のホテルにいたのだろうなあと。つまり、ほぼほぼ大阪のホテルで被災していたことでありましょう。

 

実際には一日違いで東京駅におり、詳らかな状況も分からないままに新幹線改札口に佇んていたことを思い出したりするわけですが、「あれから30年かあ」と。その年に生まれた人は30歳になり、30歳だった人は60歳になり、60歳だった人は90歳になっている。長い年月が経過したなと思う反面、自らが東京駅に佇んでいたさまは鮮明に思い出すことができる。況や被災地におられた方々の記憶は、年月の経過をよそにさらに鮮明であることでしょう、きっと。

 

そんな折も折、イチローの野球殿堂入りが発表されたのは偶然とは言えないような気がしてしまいます。当時のオリックス・ブルーウェーブ(という球団名)は今はもう無い…というのがまた年月の経過を窺わせるところですけれど、イチローらブルーウェーブが掲げた「がんばろうKOBE」は少しでも前向きになることを思い出すよすがになり続けているのではなかろうかと思うところです。

 

一日早く出張に出ていたら…といった「もしも」を考えても詮無い話ですが、もしもそうであったらブログに一文字も残すことのないままに生涯を閉じていたかも…。実際に被災された方々の中には、そうした30年が失われてしまった方もおいであることでしょう。その30年の間、どうにも徒に時を過ごしてしまったかもしれない、そんな思い巡らしもしてしまう2025年1月17日なのでありました。