さてと、年が改まっても「奥州宮城仙石線沿線紀行」はまだしばらく続きます。

昨年中に石巻から移動するところまでは到達しましたので、これからは本塩釜駅近くのホテルをベースに仙石線で行ったり来たり…とは、先にも触れたところ。つうことは、お目当ては必ずしも塩釜には無い?とはなるものの、かといって訪ねたい場所が全く無いというわけでもないのでして、石巻から移動した後の余り時間、「まだ閉館には時間があるな」と美術館をひとつ訪ねることにしたのでありますよ。

 

塩釜もまた漁港で知られるだけに海の町なのですが、港とは反対方向にちょいと歩くと坂道があって高台がある。この高低差は、津波襲来の際に大きく明暗を分けたことでしょうけれど、そんな登り坂の上に美術館はありました。最後には石段が待っておりましたよ。

 

 

たどり着いた塩竈市杉村惇美術館は、元々公民館(の分館)として建てられた建物であるとか。素っ気ない箱モノのようでいて、ほのかに雰囲気を醸すこの建物、1950年(昭和25年)築だそうですから、まあ、昭和レトロてなところでしょうか。

 

 

中に入ってみますと、今でも公民館として使われている部分もあるようでして、美術館は2階に。中の印象はなんとはなし、昔の小学校のようですはなかろうかと思うところです。

 

 

実は2階に上がって美術館受付の方に「元々、公民館の建物なのですよ」と教わるまではてっきり「元は小学校だった」と思い込んでおり…。といいますのも、入口前の(幼稚園の園庭くらいの広さの)広場は高台の崖の際にあって見晴らしがよいのですけれど、そこに「鹽竈小学校発祥の地」という石碑が立っていたもので。

 

 

石碑に刻まれたところによりますと、「塩竈市立第一小学校は、明治6年6月「第7大学区 第1中学区 第29番塩竈小学校」として 此の地にあった藩政時代の代官舎を校舎に充てて発足した」ということで、確かに小学校はここにあった(ことがある)わけではありますが…。

 

とまあ、そんな勘違いはともかくも、美術館のお話。「戦後塩竈に居を構え、市場に水揚げされた鮮魚や風情のある港町の風景に魅せられ、数多くの作品を残し」たという、塩釜ゆかりの画家・杉村惇(すぎむらじゅん)の作品展示をもっぱらにしておるとのことです(以下、引用は同館HP)。訪ねたときには「開館10周年記念特別企画展 珠玉の小作品展」が開催中(会期は2025年1月13日まで)でしたですが、やはり杉村作品尽くしでありましたよ。

 

 

「静物学者」とも呼ばれたらしい杉村には、その名のとおりに静物画が多くありまして、「題材となるモチーフは、花、魚、工具、季節の野菜や果物など多岐にわた」る中で「杉村画伯が「得意」と自覚していた、「小作品」ならではの魅力」を堪能してもらおうという企画展ですけれど、初めて接した杉村作品は常設展示の方が見応えがありましたですなあ。館内は撮影不可でしたので、画像で振り返れないのが残念ですが…。

 

必ずしも全作品共通とは言えませんが、時にその塗りの厚さにルオーを思い出したりしつつ見ておりましたが、1974年の日展に出された『テラコッタのある机』では机の上に置かれた人体像などがレリーフのように盛り上がっていて「おお!」と思ったりも。

 

てな具合に作品自体も(全く知らない画家だったわけですが)なかなかに印象的で目を引くものであった一方、展示室内に掲示された作家の言葉やまつわるエピソードには興味深いものがありましたですよ。例えば…

塗料のはげた船ランプ、ひしゃげたラッパ…。こうしたものは、きちんと整ったものにはない色の美しさや形の面白さが潜んでいます。
インスピレーションだけでは絵は描けません。やはり、長く苦労しないと重厚な制作はできないと思っています。

杉村自身が語ったところでして、前者は画家ならではのものの見方が感じられますし、後者は画家といえば天才肌を思い浮かべるもそればかりではないことを改めて知らされるところかと。また、エピソードとしてはこのようなことも。

塩釜の展覧会では、鉢巻きをした漁師さん方が集まってきて、「ウン、これはどこそこの海の何カイリくらいの所でとれた魚だな」などと私の絵を品定めするんです。分かる人には分かるものなんです。恐ろしいことですよ。

なんとも微笑ましいようでいて、畑こそ違うもののプロ対プロの静かな対決といったようすが思い浮かんだりしたものです。こういっては何ですが、ちょいとした空き時間を利用して訪ねた…といったふうでもあったわけながら、思いのほか印象に残る作品群にここでもまた訪ね甲斐を感じたものなのでありました。もそっと近ければ、ちょこちょこと訪ねたい美術館なのですけどねえ…。