ちょいと前に特別展「変わる高さ、動く大地-測量に魅せられた人々の物語-」@東大駒場博物館を覗いた際、展示解説にまつわる「参考文献リスト」が館内で配付されていたのですよね。そのうちのいくつかは文献実物が置かれていて「お手にとってどうぞ」でもあったわけですが、そんな中には「後で読んでみようかな」と思うものも。でもって、手始めに読んでみたのが『世界の測量 ガウスとフンボルトの物語』なのでありました。
物語は19世紀のベルリンに、数学者にして天文学者カール・フリードリヒ・ガウスが、プロイセンの貴族で冒険家として知られるアレクサンダー・フンボルトに招待されてドイツ自然科学者会議に出席するための旅から始まります。この2人を主人公としているのですが、ガウスとフンボルトが関わりをもつ章は最初と最後だけで、あとはそれぞれの人生が交互に描かれます。18世紀から19世紀に世界を測量することに傾注した個性豊かでちょっと浮世離れした2人の天才の人生が描かれます。(版元HP)
タイトルから受ける印象とは異なって、実在の主人公たちを配した小説だったのですなあ、この本は。ともあれ、ガウスは言わずと知れた大数学者ですけれど、測量と何か関係が?と思えば、実際に測量に携わっていたこともあったようで。簡略な紹介をWikipediaから引けば、このように。
1818年にハノーファー王国の測量をする測定装置のために、後に大きな影響を与えた正規分布についての研究を始めた。これは測量結果の誤差に関する興味からである。またこのときの測量成果の取りまとめに当たり考案した、等角写像による地球楕円体表面から平面への地図投影法はガウス・クリューゲル図法として今日においても世界各国で活用されている。
本書から想像すれば、数学の研究だけでは食っていけないから身過ぎ世過ぎのために仕方なく…となりましょうか。根本的には思索の人であって、実地の測量そのものがやりたいわけではなかったのでしょうなあ。これに対して、フンボルトの方ですが…と、このフンボルトはフンボルト兄弟のいずれであるか?とも。兄のヴィルヘルムと弟のアレクサンダー、どちらがより有名かは個々人の興味関心によるかもしれませんですが、ベルリンにフンボルト大学というのがあって(森鷗外記念館@ベルリンはこの大学の所管であったり)、言語学者の兄の方はその創設者としても知られておりますな。
一方、自然科学というか、自然そのものに興味を持ったのが弟の方で、行動としては探検家ながら赴いた先々で見られる動植物などを収集しまくったりする点では博物学者とも言えそう。とにかく、自然にまつわるあらゆることを知りたい、後世に語り伝えたいという熱に溢れた人だったようで、高い山に登り、大河を遡上したりしながら、あちこちを量りまくったことは測量と言っていいのでしょう。南米での探査の関係から、今でも「フンボルト海流」「フンボルトペンギン」といったあたりに、その名を残していますので、こちらはこちらで有名とも言えましょう。
とまれ、どちらかというとインドア派のガウスとアウトドア派のフンボルト(弟)に(本書に綴られているほどに関わりがあったかどうかはともかく)交流があったのは事実のようでありますね。ガウスやフンボルトの生きた17世紀後半から19世紀前半にかけて、(Wikipediaから引けば)前者は数学者・天文学者・物理学者と言われ、後者は博物学者兼探検家、地理学者と言われるような功績を残したわけですが、当時は今ほどに学問世界が細かく分かれておらず、学際が広く捉えられて、いずれにせよ真理の探究に向かう人たちは相互に交流していたのでもありましょうかね。
科学が発達して、どんどんと新たな発見が見いだされる時代背景であったことが窺えるように思える部分ですが、そのあたり、ちと長いですが本書の訳者あとがきからちと引いてみましょう。
…(著者曰く、本書が)十八世紀から十九世紀にかけての時代を選んだのは、それが「人類がまだ多くのことを獲得できるという希望を抱いており、すべてのことがもっと改善されるであろうと期待していた最後の時代だったから」だそうである。たしかに本書の最大の魅力は、数学や物理、天文学でも人々の世界観を大きく変えるような〈大発見〉があり得た時代ならではの幸福感、大半の人々が地球の裏側の様子などをまったく知らずに暮らしており、地図や事典に記録されていないことが山のように存在していた時代だからこそ可能だった〈大冒険〉の爽快感あるいは刺激性にあるともいえるかもしれない。
これを読んでいて「ああ!」と思いましたのが、ガウスとフンボルトの時代の50年後、幕末維新から明治期の日本のことでありましたよ。たまたま、NHK総合で再放送されているドラマ『坂の上の雲』を見ているからでもありましょうけれど、(本書の場合と分野は違えど)秋山兄弟と正岡子規が未来を夢見る姿とでもいいますか、そんなあたりを思い出してしまったわけで。
明治期の日本をただ単純に「あの頃は良かった」と語れるものは全くありませんですが、江戸期に閉ざされていた扉が開いて西洋で発見されたことが奔流のように到来する中、自分にもきっと何かできるという青雲の志(面映ゆい言葉ですが)を抱かせる空気があったのだろうと思ったりもしたものなのでありました。