仙台では取るものも取り敢えず、一点突破で島川美術館を訪ねたわけですが、その後は(タイトルどおりに)JR仙石線の沿線をうろちょろすることに。まずは向かったのは石巻でありましたよ。

 

 

仙石線という名称は仙台と石巻を結ぶ路線であることを明示しておりますが、ここで移動のために乗り込んだ快速石巻行の列車は、実は何と!(大げさですが)仙石線ではないのですなあ。仙台駅を発してしばらくは東北本線を走り、途中から東北本線・仙石線への連絡線を通って仙石線に入り石巻へと達する快速列車「仙石東北ライン」であると。

 

首都圏でも「湘南新宿ライン」やら「上野東京ライン」(この名前はどうにも馴染めない…)やら、本来の何々線とは異なって、複数路線を直通する列車が走っているのと同じようなことなのであるかなと思うところです。おそらくは東北本線より海寄りを通る仙石線の方が乗降客が多いので、東北本線周りの列車を設けて輸送力をアップさせたのではなかろうかと。先に仙台駅の人の多さに触れましたけれど、旅の終りの帰りがけに乗った仙石線は(ぎゅー詰めとは言わないものの)ちょっとしたラッシュ状態で、仙台駅到着時には改札口へ向かう階段やらエスカレータやらエレベータまでもが長蛇の列ができていましたし。たまたま、高校生の下校時にあたったのかもしれませんが、それにしても「こんなに高校生がいるのであるか?!」とも。

 

一方で、仙石線が海寄りを走るということからすれば、どうしたって東日本大震災の被害を受けたであろうなあとも思ったものです。13年余りが経過したとはいえ、高架で走る橋梁部分はまだコンクリートも古びておらず、沿線風景に目をやっても「津波で流されたのだろうなあ」という空き地がそこここに点在し、はたまた妙に同じ造りの住宅が立ち並んでいるかと思えば「復興住宅」と言う文字が見えたりもするわけで。

 

復興住宅はもしかして仮設なのかもですが、10年余りもそこで生活をしているとコミュニティも生まれたり、この住宅をベースとした各種の利便性が図られたりもするでしょうから、ある意味、そこに根付いた生活になりつつあるというか、なっているというか、そういう側面もありましょうね。もちろん、元々の家があった場所に帰りたいという希望は抱きながらも、諸々の事情で叶わない人たちもいることでしょう。

 

 

これは仙石線の沿線風景ではありませんけれど、更地になって区画の多くに「売物件」の看板が立っていたのを見かけました。戻りたいけれど、戻れない。苦渋の決断で土地を売却することにしたのでしょう。後に見える小学校の建物には「津波避難場所」であることを示すマークが大きく付けられておりまして、これを見ては反って「また津波がやってくることが無いとはいえず…」と思ってしまったりもするでしょうしね。

 

 

とまあ、てなことをあれこれ考えながら乗っていた仙石東北ラインの快速列車は1時間ほどで石巻駅に到着いたしました。どん詰まりの突端とは、いかにも終着駅らしさを漂わせておりますが、それよりも濃厚に漂うのは「ここもまた、漫画で町おこしであったか…」ということでありましたよ(ちょいと前に出かけた鳥取も漫画で町おこしだったもので)。

 

 

 

 

どうしたって「漫画推しの石巻の町なかは?」と思うものの、秋の日は釣瓶落とし、日暮れが早いのでこの後は取り敢えずはホテルでのんびり過ごし、精力的に歩き廻るのは翌日に。まんがのまちとそればかりでない石巻、だんだんと旅先の見聞録らしくなってまいりますですよ。