さてと、宮城の旅から帰ってまいりました。では、早速に振り返ってまいりたと存じますが、まずは余談から(笑)。

 


 

「秋は短し旅せよ岩手」とは今年2024年の「いわて秋旅キャンペーン」のキャッチフレーズでして、大正期の流行歌『ゴンドラの唄』にある♪いのち短し 恋せよ乙女…から取られたことは言わずもがな。とはいえ、語呂の良さには惹かれますなあ。

 

 

ではありますが、このほど出向いたのは岩手の手前の宮城でして、何の関係もないではないかと思うなかれ。キャッチフレーズの言葉通りに短い秋に旅しておかねば…という気にさせられたというのが、今回の旅との関わりでありますよ。そんなふうに背中を押された旅の行先、これがどうして(岩手でなくして)宮城であるのか?ということですが、やはりきっかけというものがあるのですよねえ。

 

東北辺境に置かれて蝦夷(えみし)との境になっていた多賀城の旧跡には予てそそられるところがあったわけですが、史跡近くにある東北歴史博物館では特別展「多賀城1300年」が開催中(12/15で会期終了)となれば会期中に出かけて、史跡ともども見るに如くは無しと。さらに、石巻にある宮城県慶長使節船ミュージアムも「行かねば!」対象であったものの、しばらく休館していたところが、2024年10月26日リニューアルオープンとは「秋は短し、旅せよ」と言われているようなもので。

 

ついでながら(一大観光地であるのが気にかかるものの)、先ごろ山形で松尾芭蕉の『おくのほそ道』の足跡に触れたましたが、山形入りする以前に立ち寄った景勝地・松島にも寄るかなと。松島といえば瑞巌寺が知られるも、山形の山寺・立石寺同様に慈覚大師が興した延福寺がそもそもであるというつながりもまたありますのでねえ。

 

と、そんなこんな、多賀城も石巻も松島もみなJR[仙石線の沿線にあたるわけでして、この路線をまた右往左往してこようということにしたわけでありますよ。で、そのためには取り敢えず新幹線停車駅の仙台を目指すことになりますが、仙台自体を観光目的にされる方々も多い中、これをほぼスルーしようという割り切り。仙台市内にまでちょっかい出しては何日あっても足りないでしょうしね。

 

それにしても、昼飯がてらに下車した仙台は(20年前に出張でちと寄っただけで初めてといいくらいですが)都会ですなあと、今さらながら。駅構内を見回しても、駅から一歩外へ出てもたくさんの人、人、人…。夏に訪ねた山形と比べて(山形市には失礼ながら、比べること自体無理がある…)あまりの差に愕然としたものでありますよ。

 

いったん下車したついでですので、仙台駅近くにあるAERという複合ビルの上に無料の展望テラスがあるということで、ちと仙台市街を見下ろしてみることに。

 

 

たまたまにもせよ、山形駅近くにある複合ビル・霞城セントラルから山形市街を眺めおろすのと同じようなことになったわけですが、駅前から周囲に向けてビルの連なりが広範囲にわたる点を見れば、「ああ、都会であるな」と思うところです。

 

 

 

それにしても道路がやけに広いですけれど、つい先日、「日本一大きな交差点」があるのは(名古屋でも大阪でも東京でもなく)仙台であると知りましたが、「なるほどなあ」と思ったりもしたものです。

 

とまあ、そんな具合に都会感を表す仙台ですれど、別に仙台(の球場)に本拠地を置く東北楽天ゴールデンイーグルスが(仙台でなくして)「東北」を名乗っていたりするからということばかりではなしに、なんとなあく東北地方の代表は「そりゃ、仙台でしょ」感を出しているのはいったいどうしたこと?とも。確かに町の大きさやら人の多さやらはあるにせよ、誰が決めたのであるか?と思ったりもするのですよね。

 

ですが、今回見て回ってあれこれ思う先には、「きっとそういうことなのだねえ」という気付きに至ることにもなりましたですよ。旅のお楽しみはいろいろと見て回ったり食べ歩いたり、さまざまにありましょうけれど、その場その場で考えることもあれこれありまして、実はそれが興味の尽きない点でもあるのだあねえと。ということで、「奥州宮城仙石線沿線紀行」の見聞きに振り返ってまいるといたしましょうか。