またまた東京オペラシティ コンサートホールで開催される「ヴィジュアル・オルガンコンサート」を聴いてまいりました。「ヴィジュアル」という言葉を目にする限りでは「ようするに見た目…?」てなことを思い浮かべるばかりなのですが、「このコンサートでは、ストップ操作や足鍵盤の動きなど、普段見られないパイプオルガンの演奏の様子が、舞台上のスクリーンでリアルタイムにご覧いただけます」というものなだけあって、奏者はホールの上の方にいて、弾いているところはうしろ姿ばかりで、というオルガン演奏の、実は忙しない様子をつぶさに見ることができるということなのですな。

 

折しもEテレで放送中の『3か月でマスターするピアノ』を(ただただ、3カ月でマスターする世界史や数学を見ていた延長で)見ていて、右手と左手で全く違う動きをするのは(ピアノを弾けない者から見ると)大変だろうなあ、さらには折々ペダルも踏み分けなくてはならないわけだし…と思っておったところ、改めてパイプオルガンの演奏で足を使うのはペダルを踏むというばかりでなしに、足鍵盤でメロディーを奏でたりもするのですものねえ。「ほお~!」てなものでありますよ。

 

おそらくはこの「ほお~!」と思う背景ですけれど、複数の事柄を同時に行うのが苦手ということが挙げられましょうかね。ピアノしかり、ドラムスしかり、はたまた車の運転(ペーパードライバー、こじらせてます!)なんつうのもこの中には入るかもです。ただ個人的に苦手であるとは言っても、世の中にはピアノを弾ける、ドラムスを叩ける、車の運転なんて何が問題なの?という方々が大勢おいでとも。

 

そこでもそっと考察(?)を進めますと、ピアノやドラムス、車にしても、モノがそこに置かれて直ちに弾ける、叩ける、運転できるという人がいないではないかもですが、やっぱりそれぞれに練習というプロセスを経ることになりましょうけれど、要するに練習が嫌いということになりましょうか。

 

そりゃ、練習しなくてはうまくならないよ…とは通りながら、も少し話を深める(とは大げさながら)とすれば、そも「うまくなりたい」という意識があるかどうかということにもたどり着くのではなかろうかと。で「うまくなりたい」という気持ちが原動力になって、練習という努力を厭わぬことになっていくのでもありましょう。

 

と、ここまで来て思うことは、何事につけですが、練習という努力を厭わない点では即ちそのことに時間を掛けるということにもなりまして、他のことにかかずらう時間を排除するのとイコールでもありましょう。楽器の演奏家を目指す人たちが一日のうちに何十時間も練習していたりするが如しかと。

 

仮に「何でそんなに長い時間やってられるんですか?」と愚かしくもある質問を投げかけたとすれば、(全てではないにせよ)「それが好きだから、やってられるんでしょう」てな答えが出てきたりもして、やっぱり「好きこそものの上手なれ」に尽きてしまうのか…ということになりますかね。要するに「好き」の熱量次第で、傍から見ると「なんであんなに?!」と思えることも、当人にはさほどのことでなかったり。

 

そんなことを考えつつ、我が身のことを思えば、熱量溢れるほどの好きなことが無いということになりますかね。ま、威張って言えることではありませんし、何につけできないことへの「負け惜しみ」ではないかいねと思われもしましょうけれど、その点で言えば何かしらが出来るようになる、うまくやれるようになるには「負けず嫌い」感が必要なのでもありましょうね。その辺りの意識が全く無いと言えば嘘にもなりましょうが、極めて希薄であるとは言えようかと。

 

考えてみれば、本能的な「欲」とも関わってきますですが、ヒトはもっともっとで存続してきたのでありましょう。獲物をもっと狩らないと生きていけない、穀物をもっと収穫できるようにしないと生活が安定しない…などなど。ですから、元々ヒトという生き物にある「欲」が今ではそれがさまざまに異なる面に向いている、なにしろヒトなんですから。

 

ただ、ヒトの長い歴史の中では「足るを知る」ことを知恵として身に着けてきた側面もありますですね。本能的な「欲」の赴くままではないありようの一つでもあろうかと思いますが、これを極端まで進めると霞を食って山中に生きる仙人の姿しか浮かんでこないようにもなろうかと。そこはそれ、匙加減が必要なのかも。どちらかというと、個人的には仙人っぽい方向で生きているかもしれませんが、ヒトもまた動物であるという逃れられないところまで考えますと、動きを伴う何かしらをしていなければ死んでしまう(とは極端ですが、運動不足をこじらせるとろくなことにならない…とか)のでもありますし。

 

とまあ、いったい何の話やらと思えばオルガンコンサートを聴いてきたという話であって、オルガンを弾くようすに「ほお~!」と思ったところから始まったわけですが、何はともあれ、こうした演奏会に出向くこと自体も「欲」の発露ではあるなあと改めて思ったり。今回の演奏会はオルガンとトランペットの共演であって、両者のブレンドした響きでホールが満たされて、聴いている側も満たされた気分になっていく。そうした満足感を得んがためにまた「欲」がうずくということになりましょうかね。