大阪・枚方市の淀川資料館を訪ねて、展示のあれこれに「ほう!」と思っているのは関東から来た者なればこそかも。ですので、も少し展示を振り返っておきたいわけでして。

 

 

淀川は周辺市民の水道として、またダムを通じた発電による電力供給として利用される利水の観点がある一方で、上流にダムを造ったり堰を設けたり、堤防やら河川敷やらの工夫もしつつ、浚渫などもして氾濫被害に備える治水の観点もありますでね(って、淀川に限った話ではありませんが)。ですので、「淀川の歴史」というコーナーを見ると、その大部分は「大洪水があった」、「大工事を行った」の繰り返しでもあるような。

 

 

江戸時代の一部だけ見ても、川と格闘するようすが偲ばれるような。長い歴史年表から治水に関わる部分だけを抜き出した資料もありましたけれど、たくさんあり過ぎて、即ち細かすぎて、その場で見るのも難儀するほどで…(現物の見やすさは年齢により個人差があるものと思いますが、笑)。

 

 

ですが、「大洪水がありました」、「対応として大工事を行いました」というのは飽くまで次に備えることであって、大洪水自体を目の当たりにした土地土地の人は大変なことでありましたろう。お江戸で火事が多いとなれば、各所に広小路を設けたりするのはお上の仕事ですけれど、実際の家事で消火にあたるのは火消たちですものね。同様に、今でいうハザードマップで真っ赤に塗られてしまうような地域では、身近なところで行う水防活動が大事であったと。

 

 

 

上は「明治から昭和30年代までに使用されていた水防用資材」、下は作業のようすですけれど、1950年って蓑を着ていたのでしたか。と、昔の話ね…と思ってしまうところが、そうではないのが現実であると。京街道枚方宿の町並みをゆらゆらしておりますとき、街角にこんなポスターが貼ってあるのに目がとまったものでして。

 

 

東京近辺では、消防団員募集(はたまた自衛隊員募集)てな告知は見かけますが、大阪では現在進行形で水防団員を募集しているとは。で、これが枚方の町に貼ってあるというのも、あながち関わり無い話ではないのでしょうなあ。

 

 

これは淀川べり、淀川河川公園枚方地区の案内図ですけれど、右から左へ流れる淀川が枚方あたりでカーブしていることが分かりますですね。で、万一、淀川が増水した場合、カーブしている部分の外側に溢れ出しやすいとすれば、なるほど枚方に水防が必要とは理解できるところです。

 

アメリカでは消防士が主役の映画があれこれありますように、防災や人命救助に当たる職業は子供たちから憧れの目で見られる、文字通りのヒーローであって、大阪の水防団のように「知られざる」存在とはずいぶんと印象が異なるような。とかく、アメリカを真似たり、追随したり(ともすると追従したり)てなことには「むむむ…」感を抱くところですが、ことこの部分にはアメリカ並みの視線が行き渡ってもいいかもしれんなあ…と思ったりしたものでありますよ。

 

と、ちと話が横道に入ってしまったこともあり、淀川資料館のお話、もう一回だけ続くということで、どうぞお付き合いくださいまし。