京阪宇治駅から宇治橋を渡ると、そこはすでに平等院へと続く参道であるようす。ただし、鳥居のかかった車道ではなしに左手の参道商店街を進むべしということでしたなあ。

 

 

まだ朝早いので沿道の商店は軒並みシャッターを閉ざしており、脇目をふる間もなく、どうやらここが平等院の入り口であるか…という地点に到達いたしました。まだ、かの有名は鳳凰堂は見えておりませんですが。

 

 

道々、人どおりがまばらであることに「しめしめ…」と思っていたわけですが、早く来られる方々にはそれなりの思惑があったようですな。どうやら、鳳凰堂の内部を見るための行列に並ぶというのがその目的かと。拝観料とは別料金で20分ごとに20人づつ中へ案内されるらしいのですが、そのためにいち早く並ばんとしてしていた人たちがいたということで。

 

 

左手に人だかりが見えておりますが、これがその行列ですな。個人的には行列に並ぶということをことのほか厭うたちですので、ここはスルーします。ここまで来たのだから後で後悔しないように…てな思いを抱く先が鳳凰堂の内を見ることよりも淀川の背割堤の突先であったというあたり、人それぞれの思いがあるということになりましょうかね(おそらくはおよそ一般的でない思いでしょうけれど…)。

 

ともあれ、ここで一度(日本史に疎い者としては)平等院のことについて振り返っておくことにいたしましょう。拝観料と引き換えにいただけるリーフレットの案内文です。

平等院は永承7年(1052)、関白藤原頼通によって父道長の別荘を寺院に改め創建されました。その翌年の天喜元年(1053)に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立され、その建物が現在鳳凰堂と呼ばれている、経典に描かれる浄土の宮殿をイメージした優美で軽快な建物です。庭園は浄土式の借景庭園として史跡・名勝に指定され、現在鳳凰堂周辺の洲浜や平橋・反橋などが整備されています。

ということで、この時にはすでに目の前に全容を現した鳳凰堂の目の前あたり、絶好のフォトスポットがうかうかしていると人だかりになりそうな気配がすでに出てきましたので、取るものも取り敢えず、池の前へと移動することに。

 

 

10円玉に刻まれた左右対称の見慣れた姿はちょうどこんな感じの立ち位置から眺めたところかなと。確かに建物のシンメトリーはいい具合ですけれど、池が左手に向けてやや細っておりますので、正面と池とをうまく写し込むには広角レンズを使わんと難しいんじゃないですかねえ。ですので、真正面はともかくも「映える」姿としてはむしろ斜に構えたところの方が良いのではないかと思いますですね。

 

 

 

てなふうに鳳凰堂の建物を撮っている段階はまだなんとかわさわさしておりませんでしたが、まさにこの直後、旗を押し立てた修学旅行生の団体が幾組もざりざりと砂利を踏んで現れたのでありました。危うく難を逃れたと申しましょうか、その時にはこちらはすでに平等院ミュージアム鳳翔館の開館待ち状態だったものですから。それにしても、ミュージアムの方にはいささかも開館前の行列のようなものはありませんでしたなあ。

 

で、修学旅行生の団体を目の端に留めたところで、ぼんやりと記憶が蘇ってくるような、こないような感じがしたものでありますよ。今回、伏見に来たついで(またも失礼!)に宇治が近いのなら平等院を訪ねておくかと思いましたのは、偏に「行ったことがないから」ということだったわけですが、ぼんやりと浮かんできたのは「もしかして自分も修学旅行で来たかも…」と。

 

ことここに至るまですっかり記憶の奥底にしまい込まれていたのかもしれませんけれど、あんなふうに団体で「来た、見た、撮った」状態になったのではなかったかとも。確たるものではないですが、中学と高校と、2回も修旅で京都に来たのですから、ここに立ち寄った可能性は大であったような気がしてきたものでありますよ。時代が時代なだけに、おそらくは定番スポットばかりを巡ったのでしょうし。

 

そんなぼんやり記憶は措いておくとして、この先、ミュージアムを眺めてさらに鳳凰堂の裏手を巡ることになっていくのですが、長くなってきましたので後半へ続く…ということで。