京都・伏見を流れる東高瀬川を眺めつつ、今回は京都の町なかには近寄らない…、往路の京都駅近辺のようすを見ただけでも混雑必至であるからと思っていたわけですが、確かに今回、京都駅より北には一歩も足を踏み入れることはありませなんだ。さりながら、些か逡巡にかられたのは伏見稲荷大社を覗くかどうかということでありましたよ。何しろ行ったことないもんで。

 

伏見に来たからにはちょいとお邪魔させてもらってもよろしかろう、京都駅の南方向にあるのだし、朝早く出かければなんとかなるのでは…と、混雑が予想されるところにはおよそ近づくことをしないポリシー?であるところを曲げて出かけていったその結果は?!…。

 

 

ともあれ、平日故に京都市街方面へと向かう通勤通学客がたくさん乗り合わせた京阪電車で伏見桃山駅を出発(向かいの大阪方面ホームにはほとんど人がいません)。ちなみに「郷に入らば郷に従え」で「京阪電車」と言ってますが、関東ならば「京阪線」というでしょうなあ…てなことは、以前、大阪・高槻市を訪ねたところでも触れましたですね。

 

 

出町柳行きの準急に乗って十数分、早くも伏見稲荷駅に到着しますと、幸いにも数人の外国人観光客を見かけたものの、駅前は至って静か。早めに出たことが奏功したかとほくそ笑んだのはほんの束の間でしたなあ…。

 

京阪・伏見稲荷駅を出ると左方向へまっすぐ、道はそのまま稲荷大社の裏参道につながるわけですが、その辺りまで来ると人出が多くなってきました。裏参道のようすを見ても、またどうせならば表参道から正面切っててな思いから、少々回り込んで伏見稲荷大社の、いわば正面玄関に到達ということに。

 

敢えてこだわって表参道に回る方は少ないようで人影まばらとも思えますですが、裏参道が合わさってくる楼門前ともなりますと、混雑を厭う性質としてはすでに煩わしさがじわじわと。

 

この楼門は、天正十六年(一五八八)六月に豊臣秀吉が稲荷大神に母大政所の病気平癒を祈願し、本復御礼の奉加米をもって翌年に再興された。

脇の解説板にこうあるところからすると(移築や解体修復はされているものの)この楼門、すでに400年以上も立っているのですなあ。京都の人が「先の戦争」と言うと応仁の乱を指すてな笑い話(じゃないのかな…)を聞きますけれど、歴史のスパン、時代感覚がどうも異なっているように思えたりもしますですねえ(本殿がもっと古いとは、後から知りました…)。

 

 

内拝殿の前まで到達すると、外国人観光客に加えて修学旅行の団体がどわどわ押し寄せてくるようになりましたなあ。お隣の神楽殿からは、何かしらイベント(とは神社に似合わうの用語ですが)があるのか、どんどんという太鼓の音が聴こえてきましたので、足を向けてみると琴の演奏が始まるような、始まらないような…。ともあれ、外国から来られた方々の目は巫女さんたちに釘付けでありましたよ。彼らにとってはどこを切り取ってもエキゾチックさを感じるのでしょうねえ。

 

 

てなことで、ちと喧騒から退避しまして、神楽殿の手前にある東丸神社の方へ立ち寄ってみました。こちらはちょいと脇になるだけなのに至って静かでありましたよ。

 

 

鳥居のとなり、右側の立派な門も前には「史蹟 荷田春満旧宅」とありまして、おざなりに日本史の授業を聞いていた者でも「かだのあずままろ、であるか」と思ったものです。東丸神社の名前は「あずままろ」から来ているのでありましたか。

春満は、寛文九年(一六六九)に稲荷神社(現伏見稲荷大社)祠官荷田姓御殿預(ごてんあずかり)羽倉信詮(はくらのぶあきら)の次男として生を受け、広く国学の発展に奔走した江戸中期の国学者。「国学四大人」の一人であり、始祖と仰がれている。

「国学四大人」は春満のほか、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤の三人ですけれど、国学始祖を祀る東丸神社は学問の神様として知られるのだそうですなあ。

 

 

ですが、熱心に絵馬を眺めているのは外人さん?釣られて、折り重なるように架けられた絵馬に近寄ってみますと、今や神社への願掛けも国際色豊かになっておったのですなあ。少なくともここで切り取ってみた部分に、日本語は一切無いのでして。

 

 

絵馬に願い事を書いて神社に奉納してくる。これもいわば異文化体験ということなのかもしれませんですねえ。個人的にはヨーロッパに出かけてキリスト教会を訪ねることはあるものの、静かにひっそりと(?)堂内を拝見したりはするものの、信者でもないのに(面白半分にといっては何ですが)見て回る以外の何かしらをするのは臆するところ大ですけれどね。ま、個人の見解です。

 

とまあ、伏見稲荷大社に来て、そのとば口あたりをうろうろしていたわけですが、この後「伏見稲荷と言えば!」という場所を通り抜けていくことになるのですが、これがまた大変な状況でありましたよ。次にはそのあたりのお話をいたそうかと思っておりますです、はい。