いやはやひと月近くかかってようやっと、一書を読了。久しぶりにボリュームたっぷりを堪能いたしましたよ。タイトルは『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』というものでして、予て気にかかっていたのものを先月に東洋文庫ミュージアムで「キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジア-」展を見たのを契機に読み始めましたですが、いやあ、長かった。500頁超の厚さで本文が二段組みとは、ぎゅうぎゅうに詰めたお弁当状態でしたなあ(笑)。

 

 

ですが、このボリュームたっぷりのお弁当、思いのほか味に広がりがあって、思いのほか充実した読書となりましたですよ。といいますのも、タイトルが示すとおり、要するに天正遣欧少年使節のお話であろうと思っていたのが、日本へのキリスト教布教がかくも日本史を世界史とつなげる役割を果たしておったのかと気付かされることもなったわけでして。

天正少年使節をめぐる数々の西欧側の記録を、イエズズ会の歴史図書館や古文書保管所、ヴァティカンのアポストリカ図書館、ウルバヌス八世図書館などで読んでいると、この四人の少年の使節をとおして日本の歴史が今までとちがったふうに見えてきた。また昔から聞いたり読んだりしてきた天正少年使節のすがたもちがって見えてきた。日本の歴史も日本一国の歴史資料ではとらえることができない。一国の歴史がもはや一国史ではとらえることができなくなった。それが大航海時代以降の世界である。

こんなふうにエピローグに記されているとおりの内容が次から次へ、かつて学校で通りいっぺんの世界史をなぞったところでは全く見えてこなかった世界史の中の日本史というものを思い知らされることになったのですなあ。著者は歴史学者というよりは美術史家であって、本来の専攻とは異なるのでしょうけれど、ただ学究的に史資料を読み込んで論をまとめ上げる手法は専門分野に関わりなく有効なわけで、いわゆる歴史家目線が見落としている、あるいはある種のバイアス前提で見ていることに異を唱えたりする場面も多々ありまして、興味深いことこの上なしです。

 

そんなことも知らなかったのか…ではありますけれど、イエズス会をはじめとしたカトリック教会の海外布教は、時期的に大航海時代の波の乗ってものとは受け止めていても、ルターらが始めた宗教改革の結果、信者がプロスタントに持って行かれてしまったことへの危機感があったのであると。ですので、当時の世界地図に判然と描かれることもないような東洋の最果ての島国から、4人の少年使節がローマ教皇のもとへとやってきたことは、カトリックの勝利のようにも捉えられていたとは「なるほどな」と。それだけに、この使節に触れた文書・記録が西欧側に数多残されているということなのですなあ。

 

考えてみれば、派遣された使節が戻ってくる頃、日本ではキリスト教への風当たりが厳しくなっていて、さらには全面禁教へと至る歴史がありますから、日本の方でこそ彼らの資料は残されなかったであろうところ、それがローマなどに多数残されていようとは、です。

 

史資料の読み解きの結果として、宣教師らがそれぞれに個人的な思惑の下(占領して一気にカトリックを広めてしまえと考える者もいれば、その国に馴染む形で地道に布教することが肝要と考える者もおり)、報告書の類をイエズス会本部に送っていたりすることの中には、日本の情勢分析なども入っていることが分かるわけでして、日本史における大きな話題、例えば本能寺の変であるとかそういう事件、事態への見方を異にした印象が記録されていたりもするのですよね。そこからは、まさに本能寺の変にも宣教師の影がちらちらと…と言ったふうに、小説ならば面白く描き出せそうな題材もまたてんこ盛り状態でありましたよ(ただ、本書は小説ではありませんので、興味本位に描くことはしていませんが)。

 

ザビエルが来て、日本にキリスト教が伝わり、キリシタン大名が出てきて少年使節が派遣され、やがて取締りが厳しくなり、禁教・鎖国となっていった…とはざっくりした日本史になりますけれど、こうした点と点だけを語っていくことがいかにざっくりに過ぎるものであったかと、思い知ることになるのですなあ。

 

大部な一冊なだけに興味深い点があまりにたくさんあって、一度読んだくらいでは消化しきれない。手元においてじっくりと、はたまた折に触れて少しずつ再読していくだけの内容があると思ったものでありますよ。ただ、その際には文庫版で再刊されたものにしておこうかと。それでも上下2巻のそれぞれがやはり500頁超ですが、少なくとも寝転がって読んでいるときに取り落として顔を直撃してけがをする…てなことが文庫本ならないでしょうから(笑)。

 


 

と、大著を一冊読み終えたところで、ちとまたしばし留守にいたします。朝から東海道新幹線で京都へと移動しておりまして、次におめにかかりますのはおそらく5月26日(日)となろうかと。それまで束の間の無沙汰をいたしますです、はい。