ユネスコ世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の、鹿児島県内にある構成要素のひとつである「関吉の疎水溝」を訪ねた後、「実はこの次にはさらに「うむむ…」という事態に陥って…となるのですが…」と申しておりました場所へと移動。「関吉の疎水溝」近くの解説板にも紹介されていた「寺山炭窯跡」がその目的地でありまして。

 

1858年、集成館事業の反射炉などの燃料として用いる白炭(火力の強い木炭)を製造するために建設した炭窯本体です。堅固な石積みで築造された当時の姿を今も残しています。集成館に近く、また白炭に適したシイやカシが多いため、寺山に造られたと言われています。

という寺山炭窯跡を目指して行ったわけですが、ガイドブックには寺山炭窯跡駐車場から「炭窯まで徒歩3分」とある、その駐車場に向かったところ、たどり着いてみれば6台駐車可とされていた駐車場内には大型の工事車両が複数入っていて「どういうこと?」と。

 

路駐するわけにもいきませんので、次善策としてやはりガイドブックに記載のあった寺山ふれあい公園駐車場へと仕切り直し。こちらは92台も駐車できるのでよもやのことはあるまいと思うも、駐車場からの徒歩移動が15分と多少伸びることになるのですが、取り敢えず。

 

 

で、公園駐車場から少々車道を進んで、脇道に入るよう看板がありました。目的地まで550mとありましたですが、結構な上り下りがあって感覚的にはもそっとかかるような気がしましたですねえ。はっきり言ってあたりはすっかり山の中…という雰囲気の中を歩いていきますと、やおら長い石段とその上に大きな石碑が見えたのですなあ。

 

 

「南洲翁開墾地遺跡碑」というものでして、南洲翁、言わずとしれた西郷隆盛の事績にまつわって建てられているということです。

西郷隆盛が明治8年(1875年)、開墾社をつくった場所です。昼間は原野を開墾し、米やサツマイモなどを栽培。夜は学問修養に励むなど、農業を通じた青年の教育に力を注ぎました。

こんな解説文がありましたが、鹿児島に出かけたとあって「鹿児島錦江湾紀行」の中で西郷の名前は何度か引き合いに出してはいるものの、その人にさほどの興味があるでもないものですから、敢えて階段を登ってみるまでもなく先へ進みます。

 

 

世界遺産(の構成要素のひとつ)へと続く道なだけに一応舗装されてますが、周囲はすっかり山の中でしたなあ。そして、肝心の炭窯跡にたどり着いてみればこれ、この通りで…。

 

 

 

どうやら再三の自然災害の結果、復旧工事中であると。ブルーシートで覆われていますので、どれほど悲惨な状況に立ち至っているのかもわかりませんけれど、このときになってようやっと、この場所に近い駐車場に工事車両が停まっていたのが「なるほどねえ」と思った次第。ただ、こういうことならば、遊歩道へ入り込む際の看板に何かしらの貼り紙でもあればなあ…とは思ってしまいまして…。

 

 

解説板ばかりがぴっかぴかなのが、妙に癪に障る気にもなったりしますが(苦笑)、本来はこんな形をしていたのであったようですなあ。

 

 

ということで、寺山炭窯跡の探訪は無念の結果に立ち至ったわけですけれど、鹿児島市街からせっかく足を延ばして辿りついきましたので、せめて近くにあるという寺山展望台に立ち寄ってみることに。解説板を信じるならば「桜島と錦江湾を眼前に、大パノラマを展望できます」ということですのでね。

 

 

 

どうやらこちらの方は看板に偽りなし。鹿児島市街の城山から眺めるのとはまた違った面持ちの桜島がどぉんと見えますし、少々目を転じればうっすらもやった先に霧島連山も見えるのですものね。おかげで残念な寺山炭窯跡の憂さ晴らしができて、さて鹿児島市街へ戻りますか、ということに。次も(というより、次の目的地こそが)世界遺産と関わりある場所なのでありますよ。