一週間(ちょっと)のご無沙汰でした…とはまた、昭和っぽい出だしですけれど、ともあれしばらく鹿児島に行っておりました。鹿児島空港到着時の天候はどしゃ降り。翌日は一転、汗ばむ陽気。さらに次の日は3月の鹿児島としては観測史上最大の強風が吹き荒れた一日となり、寒い寒い日々の果てに、最終日にまたしても雨模様。まさに猫の目天気の中、錦江湾(鹿児島湾)を取り巻く大隅半島、薩摩半島をレンタカーで駆け抜けて来たのでありますよ。もっとも、運転は同行のドライバー任せで便乗していただけですが…(笑)。

 

しかしまあ、鹿児島空港から鹿屋市へと向かう道すがら、酷い降りでもって雨の煙幕がかかったよう。視界に難儀するほどでしたから、初日は移動日と割り切った次第。それでも、先日NHK『ブラタモリ』で火山銀座・指宿を取り上げていたのを見たばかりだったからかもですが、指宿とは反対側の大隅半島を走っていても、「ああ、鹿児島は溶岩台地、火砕流堆積物ばかりであるなあ…」と気付かされた次第。鹿児島には過去に一度だけ来たことがありますが、その時に登った韓国岳のぽっかり開いた火口や、高千穂峰に続く稜線の中ほどにある新燃岳は直近で2018年に噴火していることを思い出してみれば、指宿のみならず鹿児島県全体が火山大国と言っていいのかも。

 

溶岩流、火砕流が海にまで到達して陸地を増やしていった痕跡というのが、そこかしこでつぶさに見てとれるのですよね。鹿屋市内で一泊したのちに、天気が好転したのを幸いに、錦江湾に着き出した小さな半島状の荒平天神に出向いてみれば、「ああ、ここも溶岩流の終着点か…」と。

 

 

鳥居には「菅原神社」とありますように菅原道真を祀った学問の神様ですので、荒平の天神さまと呼ばれておるのですな。ただ、何故この場所に菅原道真を?というのは詳らかならず。海に面した景勝地であることを思えば、弁天社でもいいのかなと思ったりもしたものです。

 

 

景勝地たる由縁はもちろんその眺望。お社の土台となっている溶岩の上には、対岸の薩摩半島にある開聞岳の山頂が顔を覗かせておりましてね。「おお!」と思うわけです。薩摩富士とも言われる特徴的な円錐形の姿は、この後にたびたび目にすることにはなりますけれどね。

 

ちなみにこちらの天神様ですが、最初の写真で鳥居の奥に見えているのが社殿ではないのですな。社殿に参拝するのには溶岩の急登が避けて通れないのでして。最初のうちは石段と侮ってはいけんのですな。

 

 

 

最後の方はロープ頼みになったりするのでありますよ。これを克服して登り切れば、ようやっと「東風吹かば…」の歌とともに牛の手水がお出迎えということになります。

 

 

神社のお供えにお神酒はつきものながら、日本酒でなくして焼酎(もちろん芋焼酎)であるのが何とも鹿児島らしいところではなかろうかと。ということで、鹿児島県は大隅半島、鹿屋市の荒平天神を皮切りとしまして、またしばらくは鹿児島での見聞を振り返ってまいろうと思っておるのでありますよ。