そも「房総のむら」とはどのような施設であるか。あらためて公式HPの紹介をみれば、このように記載されておりますな。

「房総のむら」は、房総の伝統的な生活様式や技術を来館者が直接体験するとともに、県内各地から出土した考古遺物や、武家・商家・農家などの展示を通して歴史を学んでいただくことを目的とする博物館です。
みる・きく・かぐ・あじわう・ふれるの五感を通して、房総地方に古くから伝わる文化への理解を深めることができます。また、「春のまつり」をはじめとした、四季折々のまつりや演武、民俗芸能の上演、企画展など数多くの催しを実施しています。

なるほど「体験博物館」と謳う由縁はここにあり、さらには小学生が団体で来るのもむべなるかなの施設であるなと。「展示を通して歴史を学ぶ」という点では、商家の町並みに連なる各種商店もそれぞれに個性を示しておるようで。

 

 

例えばこちらの二軒。右の店は二階の軒下に杉玉が下がっておりますように、「下総屋」という酒屋の呈ですね。左は医学、蘭学の隆盛にあやかったか「佐倉堂」を看板に掲げた薬舗ということでありますよ。でもって、酒屋の方では「ろうそく作り、果実酒造り、杉玉作りなどの実演や製作体験」、薬舗の方では「薬研などの製薬道具を使った薬の実演やシナモンパウダー・七味唐辛子の製作体験」と工夫を凝らしたイベント展開をしている。他の店々もまたそれぞれに、となりますと年代層あるいは興味のほどによっては楽しみの尽きないところかもしれません(公式HPのイベントカレンダーを要確認ですが)。

 

 

そんな中でちと立ち寄ってみたのはこちらです。のれんには「きよすみ」とある細工もののお店のようでして、店頭に竹を材料にた細工物が並び、店頭イベントの開催時には職人技の数々が見られるということであるそうな。

 

 

竹を編んだ背負い籠が並ぶ店頭には「千葉の行商-小さなからだと大きなカゴと-」という企画展告知のフライヤーも置かれていましたが、訪ねたときにはすでに会期は終了しており…。ですが、とりあえず展示室になっているらしい2階へと上がってみることに。ただ、「ひとりずつ上がってください」と注意書きがあるくらいに、構造がやわになっているかも。

房総南部は竹の生長に適した夏涼しく冬暖かい海洋気候に恵まれ60余種の竹・笹類が生育しています。…豊かな竹材を利用して古来より毎日の生活に密着した多くの竹細工製品が作られてきました。

かような竹細工の伝統の上にあの背負い籠があって、大消費地・東京に総武線でさほど遠からずである反面、海山の幸に恵まれた房総からは、それほど背丈を超えるのではないかと思われる籠を背負った行商のおばあさんたちがやってきたということなのでしょう。「千葉の行商」という企画展はなにしろ千葉県誕生150周年記念事業トピックス展という位置づけでもあったようで、行商が地域経済の中にいかに息づいていたかを想像させるところではありませんでしょうか。

 

 

先に「行商のおばあさん」と言ってしまいましたが、最盛期の担い手はせいぜい50代くらいだったのかもしれませんですね。左側は若い外人女性を模したマネキンのようで、その場違い感には笑いが漏れてしまいますけどね(確か、JR飯田線の天竜峡駅に置かれていた天竜ライン下りの船に、青い目をした船頭さんマネキンが乗っていたのを思い出したり…)。行商も昭和の風景なら、外人マネキンの姿もまた昭和らしいところでしょうか。

 

 

 

展示では「六つ目のかご」(上)、「網代底編みのかご」(下)、それぞれの編み方が紹介されていまして、こうした技法はかつて房総の家々で受け継がれていたものなのでしょうなあ。今となっては伝統工芸の領域に入り込んでおりましょう。

 

とまあ、体験イベント満載らしき商家の町並みを抜けますと、佐倉藩の中級藩士の武家屋敷、上総・下総・安房それぞれの特徴を残した農家の建物などが移築展示されているのですけれど、どわどわとやってきた小学生たちの団体はここにおったのか…と、その賑やかな声が響き渡っている広場に到達したのですなあ。どうです、たくさんおりましょう。

 

 

朝からたくさん歩き廻っていたこともあり、だましだまし使っていたカメラがやっぱりどうにもならなくなってきたこともあり、また成田駅へ戻るバスの時間も考慮して、ここより先へ踏み込むのを断念したですが、子供たちの勢いに気圧されたというのが本当のところかも(笑)。お弁当を広げているのでしょうけれど、それが終ったら、聞こえてくるところからはそれぞれに体験イベントに繰り出していくものと思われ、このときひとまとまりでいる子供たちは園内に拡散していくのでしょうし。ま、彼らがさまざまな体験を通じて、郷土の伝統技法というか、歴史というか、一端でも興味を持ってもらえたら良しというのがこの「むら」の趣旨にかなうことでしょうね。

 

…というところで、「下総佐倉成田紀行」は一端ここで読み終わりとなりまして。一端、と言いますのは、先にも触れたとおりにカメラ破損の痛手を引きずり、この後早々に帰途についてしまったものですから、ちと旅の行程としては消化不良さが残っていたりも。そこで、近々もう一度こちら方面に出向くかも知れず、その時には続きとしてまた…てな目論見のある故でありますよ。ともあれ、この場はとりあえず終了ということで。