高価な美術品を盗み出す…といって、これが映画などであれば、攻守双方の知恵比べのようでもあり、犯人逮捕に向けた捜査を追ってこれまた知恵比べが展開されるような。まあ、映画だからと予め割り切っているからかもしれませんが(その実、中には実話ベースの話もありましょうけれど)、ともすると盗む側にいささか肩入れして「うまく盗み出せるかどうか」「うまく逃げおおせるかどうか」てなことを気に掛けてしまったりも。さりながら、タイトルそのままズバリの『美術泥棒』なる一冊で詳らかにされた実在の犯人像には、なんとももやもやとした感をぬぐい切れないのでありましたよ。

 

 

版元・亜紀書房HPの内容紹介には、このように。

〈 稀代の窃盗狂か、恐るべき審美家か? 〉
ヨーロッパ各地から盗んだ美術品、実勢3000億円。そのあまりに華麗な手口と狂気的な美への執着を暴く、第一級の美術犯罪ノンフィクション。
若くして手を染めた美術品窃盗の道。使う道具はスイス製アーミ―・ナイフ、ただ一本。欧州を股にかけ恋人と盗みに盗んだ、輝くような日々。屋根裏部屋に飾っては眺め、撫で、愛し、また盗む。 その先に待ち受ける想像を超えた結末とは……。

美術品の盗難はほとんどが金目当てであるとは、想像の範囲内であろうかと。およそ一点ものであることが多く、換金するには非常に困難が伴うとはされるものの、それでも売り捌いて金にしようと目論む者もいれば、換金が難しい故でありましょう、元のコレクター(美術館のケースもありますね)から身代金を得ようとする者もいる。また、闇社会では美術品そのものが(あえて換金されるまでもなく)通貨として使用される場合もあるとか。

 

いずれにせよ、この類いで犯行に及ぶ場合には美術に興味があるわけでもなんでもないわけで、それが故に盗品(作品)の取り扱いが実にぞんざいであったりするのは、質の悪いところともいえましょうか。

 

さりながら、本書に登場する泥棒は美術に対して尋常でない興味を持ち、研究熱心でもある。一般に高価と考えれるからとゴッホやピカソを盗むことなどさらさらなく、ひたすらに自らの眼鏡に適う作品ばかりを掠め獲っていくですなあ。あたかも「これ、欲しい!」と思い込んだ子供がデパートから帰ってみれば、欲しいおもちゃを持ってきてしまっていたという如し。

 

ある種、衝動の赴くままですので、大層な計画などは全くなしにその場その場で監視員や他の来場者、監視カメラなどのようすから「できる!」と思えば、即実行といった具合。冒頭で触れたような、映画的な派手な仕掛けなどは全く無いわけで、だから肩入れできないとかいうことではないのですけれど。

 

一方で、この本をまとめた著者はアメリカのジャーナリストだそうですが、当の泥棒本人や関係者に取材して人物像を振り返るうち、泥棒に魅せられているといっては言いすぎにもせよ、いささかなりとも肩入れしてしまっているところがありそうな。その書かれようがどうももやもやする由縁かもしれません。

 

「美術館のような牢獄に閉じ込められた美術品を解放する」てなふうに、自らの犯罪行為に正統性があるかのように語る犯人。正しい見る目を持った者に所持され、鑑賞されることこそ美術品の本望として、自らを審美眼を持った救い主とでも言いたそうで。

 

ですが、後に捕まって保釈された折、新しくできた恋人が喜ぶだろうと、立ち寄った店でさらりと洋服を掠めてしまったりするのが犯人の実像。なんだかんだ言っても、そのときの衝動を抑えきれない窃盗癖の持ち主としか言いようがないことが分かってきます。

 

ただ、衝動を抑えきれないという精神的な側面に対しては何らかの医療措置といいますか、施しようはあったのではなかろうかとも思うのですけれど、同居する母親は何事につけ、息子の行動は見て見ぬふりをしていた。(逮捕後に決定的に決裂する)元の恋人も数々の犯行現場で防犯ビデオに映る男女カップルの片方と目され、見張り役を務めていたと考えられるも「何も知らない、私は関係ない」と言い、つまりはその場にいても全く犯行を止めることもなった…。結果、犯行を拡大させるばかり、窃盗癖を助長させるばかりになってしまったのですなあ。このあたりもまた、もやもや度合が弥増すところでもあります。

 

まあ、この犯人にとって、どういう状況が窃盗癖につながったのであるかといったところは、人物像が浮かび上がる中で想像するしかありませんけれど、当人が捕まった後、母親と共に住まう家の屋根裏部屋に隠された盗難美術品の数々がどうなったのかを考えるとき、家族関係、はっきり言えば母親の息子に対する尋常でなさが顕れてきますですね。夫と別れ、一心に愛情を注いできた息子は美術品にうつつを抜かしていたことを知った(それ以前に本当に知らなかったのか?…)母親は息子を奪った美術品(本末転倒ですが)の一部は運河に投げ込み、一部は森に置き捨て、一部は燃やしてしまうという行動に出るという。それでもまた見つかっていないとされる作品も多くあるようで。

 

事件後、修復されて元の美術館に戻って来た作品もあるようですけれど、中には完全に失われることになった作品も多々あって。美術品には本来、価値があるようで無い、無いようであるといったものであろうものの、そこにあって誰もが愛でることのできたものを失わせてしまうというのは、金銭価値では量れないものがあるような気がしたものです。そうした感覚はおそらく犯人にかけらも無かったのでしょうが、そうした感覚こそは「欲しい」を押しとどめる抑止力にもなったでしょうに…。

 

ということで、読み進むにつれ(著者を通じて犯人の言動に付き合うにつれ)もやもや感に包まれていったところながら、唯一といっては変ですが、警備が厳しいが故におよそ大きな美術館を狙わなかった犯人がベルギー、ブリュッセルの王立美術館で銀器の数々をさらっと掠めていってしまうあたり、「あそこでよく盗めたなあ」などと妙に感心してしまうところも。いけん、いけんと思い直したものでありますよ。