さて、年も改まりまして(ということは話になんら関わりなのですが)、「美濃瀬戸やきもの紀行」はようやくにして美濃から瀬戸へと動いていくことに。午前中に土岐市をさくっと巡って、多治見のホテルに戻って荷物をP/U、JR中央本線(中央西線)で名古屋方向に少々逆戻り。愛知県に入った高蔵寺駅で愛知環状鉄道に乗り換えを。

 

 

通称、愛環と呼ばれるこの路線、JRではないながらも中央線を下車してすぐ目の前のホームに入ってくるのですなあ。高蔵寺が始発で最終の行先は岡崎であると。折しもこれに乗った頃には大河ドラマ『どうする家康』がまさに佳境(というほどに盛り上がったかどうかは?…)で関ケ原目前だったわけで、家康ゆかりの岡崎を訪ねるという選択肢もありましたですが、今回はやきもの目当てですので。愛環の車両にも「いいもんせともん」とありますしねえ(笑)。

 

 

ところで、この愛知環状鉄道には初めて乗車したですが、先にも触れたように路線はJR中央本線の高蔵寺駅とJR東海道本線の岡崎駅とを結んでいるだけで、「これで環状?」と。どうしても環状線といえばJR山手線のようにぐるりと巡っているのを思い浮かべてしまうわけですが、そも鉄道(や道路も?)では言う環状線というのは必ずしも閉じている必要はないらしい。名古屋起点に考えますと、いずれも放射状に路線の延びている中央線と東海道線とを結ぶ、そういう路線は(閉じていなくても)環状線でいいということらしいのですな。

 

ただ、「環状」という言葉本来の意味が「輪のような円い形」(goo辞書・デジタル大辞泉)であるからには、一般に勘違いが横行したとしても無理からぬ話ではなかろうかと思ったりしますですねえ。ま、鉄道用語(?)の意味合いとは別に、名古屋駅~(JR中央線)~高蔵寺駅~(愛環)~岡崎駅~(JR東海道線)~名古屋駅と大きく見て環状する路線の一翼を担っているとも言えるようには思うところです。

 

ちなみに、愛環の前身は国鉄岡多線(の構想)だったようで、当初計画では岡崎から瀬戸を経由して多治見と結ぶ(だからこその岡多線)ようになっていたとは、やはりやきもの関係の輸送が目されたということになりましょうか。

 

と、愛環のことを長々記したわりには、たった二駅を乗っただけで瀬戸市駅で下車し、名鉄瀬戸線に乗り換えます。名鉄の方の駅名は新瀬戸駅となってますが、双方の乗り換えのためにあるような小さな駅でしたなあ。ここで名鉄瀬戸線の電車を待つことしばし、ほどなく尾張瀬戸行きが入線してきました。

 

 

これまた名鉄瀬戸線には初めて乗車したですが、今回こっち方面に出かけるにあたって、いわゆる瀬戸を見て回るのにはどこかいいのであろうかなという戸惑いがありましたなあ。瀬戸市だの新瀬戸だの尾張瀬戸だの、瀬戸市役所前なんつう駅もあったりして。結局のところは終点・尾張瀬戸駅こそであったわけですが。

 

 

で、愛環から名鉄瀬戸線に乗り換えてやはり二駅。ターミナルタイプの駅である終点・尾張瀬戸駅に到着と相成りました。こんなところ(失礼…)でどん詰まりとなりますのは、やっぱりここから陶磁器製品を運び出し、原材料を運び込み…というために設けられたのでしょう。詳しくはのちに瀬戸蔵ミュージアムというところの展示で触れることになりますが。

 

ということで、陶都・瀬戸(岐阜の多治見や土岐市同様、こちらはこちらでこの呼び方)にやってきたですが、確かに(いわゆる)瀬戸物を扱う店が多く見られる一方で、駅裏から延びるアーケードの商店街(せと銀座商店街であると)はかなり寂れた印象をぬぐい切れず…。瀬戸物という言い方自体が過去のものとなってきている今、瀬戸の話題はひたすらにこの一人に集中しているようでありますよ。

 

 

瀬戸を訪ねる直前の2023年10月11日、棋界史上初の八冠制覇を成し遂げた藤井聡太、弱冠二十一歳。愛知県瀬戸市の出身とあって地元の盛り上がりはこの人に尽きるという印象でありました。が、まあそれはそれとして、これから先は愛知県瀬戸市を探訪するお話となってまいります。