毎年11月になりますと「今年は何日だったっけ?」てな話が出てくるのがボージョレ・ヌーヴォーの解禁日でして。11月の第3木曜日と決められていますので、今年は11月16日だったわけですが、コロナのおさまり加減で賑々しさは旧に復しつつあったようですなあ。その一方ではだんだんと寒くなってくるにつれ、日本酒にも新酒が出回るようになってくる。新酒をありがたがるというこの風潮は、もしかするとワインの盛り上がりに触発されて仕掛けられたものであるかなとも思ったり。

 

ともあれ、ぼちぼちと造り酒屋で杉玉が軒先に飾られ始める時期にもなってきましたので、ちいとばかり足を延ばして新酒の調達に出かけてみた次第でありまして。出かけた先は、JR中央線の快速電車が通常の終着駅・高尾を越えて時折直通している大月の二駅先、笹子駅から徒歩5分くらいのところにある酒蔵。中途半端に遠いのですけれど、中央本線で山梨・長野方面と行き来して笹子駅を通過する際に車中からも見える「笹一酒造」が予て気になっていたものですから。たどり着いてみれば案の定、杉玉が注連縄まで付けられて軒を飾っておりましたですよ。

 

 

すっくと伸びて立ち並ぶ杉木立を背景にして、実にいい感じを醸しているこちらの建物は、笹一酒造の工場に併設された直営ショップ「酒遊館」でして、見たところまだまだ新しい施設のような気がしましたですね。甲州街道に面して、観光バスも入れる大きな駐車場を備え、千客万来の体制でもあるようですなあ。

 

で、定番商品と思しき純米吟醸ともひとつ、新酒の「初しぼり生」の2種を早速に試飲に及びましたが、先にいただいた「初しぼり生」のパンチ力にしゃきんとさせられたものの、写真の方はボケボケになってしまいましたですなあ(笑)。

 

 

ということで新酒を手土産にしたわけですが、訪ねたところは実はもう一カ所ありまして。笹子駅とは頂戴な笹子トンネルを挟んでお隣にあたる甲斐大和という山間の駅が最寄り駅となるお寺さんへ。こちらも予て気になっておりつつも、甲斐大和駅で下車することはついぞ無かったもので。

 

 

たどり着いたのは曹洞宗天童山景徳院。どんなお寺さんであるのか、予測済みの方もおいでとは思いますが、要するに甲斐武田家滅亡の地と言われている場所にあるということなのですなあ。天正十年(1582年)武田勝頼らを自刃に追い込んだ徳川家康が甲斐を自らの領地とした際、その菩提を弔うために創建したのであると。景徳院とは勝頼の戒名なのだそうでありますよ。

 

天正十六年にほぼ完成したとされる境内伽藍は度重なる焼失等を経て今の形が残るようですけれど、上の山門だけは当時のまま、400年余りも立ち続けているそうな。本堂の方には当然ながら武田菱の家紋が。

 

 

本堂から少し下った木立の下には、柵で囲われた中にポツンと平たい石の置かれた場所が3カ所点々と。「生害石」と言われて、それぞれ勝頼、北条夫人(小田原北条氏から輿入れした後室)、信勝(勝頼と信長養女の先妻との間に生まれた嫡子)が自害した場所とされますが、こちらは勝頼公生涯石と。

 

 

で、生涯石の近くには「甲将殿」と呼ばれる御堂がありまして、堂内には勝頼ともども主君に殉じた家臣たちの牌子が祀られているそうな。ちなみに解説板によれば「新府を出たときには五~六〇〇人ほどいたとされる従者は、このときには四~五十人しかいなかったといわれる」と。

 

 

御堂の裏手には勝頼らの墓(宝篋印塔)と傍らには従者のものと思しき墓列が…。

 

 

 

さらに山門下の境内外では、こんなレリーフを見かけました。ちょうど裏側は大菩薩の山々あたりに端を発する日川の谷に切れ落ちている場所で、「姫八淵」と伝わるのであるということで。

 

 

勝頼室の北条夫人に従っていた侍女十六名がここ(あたり)の淵に身を投げて殉じたという伝承が残る場所として、北条夫人を含めた十七名の女性がレリーフに表現されていると。とにもかくにも、この山間の地で悲惨なというか陰惨な最期があったのですなあ…。

 

ともあれ、家康が手厚く武田家主従の菩提を弔ったとなると、なんとはなし、家康株がまた上がりそうなところですけれど、後に自ら甲斐を領し、武田家遺臣を数多く召し抱える中では、ポーズも必要だったのではと思ってしまうところです。

 

一方で、新府城を出て抗戦の拠り所にしようとした岩殿城(大月市)では城主の小山田信茂が離反して、入城が叶わず、結果、山中で自刃ということになったわけですが、その小山田信茂は軍功を得たどころか、織田信忠の命によって処刑されてしまうのですなあ。もしかすると、信忠個人は破断になった松姫(武田信玄息女)との婚約以降、松姫思慕のあまり武田との盟約破綻は心残りがあったのかもしれませんなあ。結果的に武田家滅亡と存続が絶える状況は想定外で、この結果を招いた小山田に八つ当たりしてしまったのでもあろうかと。松姫の方は八王子に逃れて後に出家するわけですが、八王子まで信忠の使者がやってきたとかいう話もあるようで。

 

とまあ、束の間、戦国絵巻に思いを巡らす山梨のひとときなのでありましたよ。景徳院の近くには竜門峡という渓谷が紅葉を楽しめる場所ということでしたが、ちと時季が過ぎていたようなので、そのあたりの散策はまた別の機会とすることにして、帰途についたのでありました。